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“労働教養”制度の罪悪

文/方斌

 【明慧ネット2004年5月29日】中国における“労働教養”制度は、1950年代初期の階級闘争による産物であり、その当時“労働教養”を設立する主要な目的は、“地・富・反・壊・右”といったものを制御すると同時に、強制的な労働及び政治思想の改変を通して、強制的に人々の思想を改造しようとしたものである。ところが、文化大革命時において、革命の先導組は、この上ない権力を持ち、何者かを打倒しようと思えば容易にすることが出来たのである。反革命のレッテルを貼れば、直ぐにでも銃殺することが出来た為に、“労働教養”に処する必要などなかったのである。それ故、文化大革命時においては、“労働教養”自体を止めていたのである。

 文化大革命の終結後、中国は“改革・開放”を推進しはじめ、“法に依って国を治める”という言葉が、常套句となりはじめるようになった。実際は1970年代末から、すでに“法に依って国を治める”ということが実施されており、今年は27-8年目となる。中国の人民大会委員会も、数え切れないほどの法律文書を制定したが、結局は単なる書籍と文書の山に留まったのである。一方では、政治闘争の中において、あるグループが他のグループを打倒するために、その法律や条文を持ち出しては、“法に依って国を治める”としたのである。政治闘争の中で敗れた側は、法律や条文に依って刑を下され、中には極刑に処されることもあった。中国の“改革・開放”の20数年間、中国人民大会委員会が制定した法律は、政客らの政治闘争における道具として利用され、彼らの手中の道具に過ぎなかったのである。

 しかしそれでも、中国においては、政治家らが法律を利用するとなると、まず利用に値するだけの口実が必要となる。中国では、政治権力は中国の社会生活のあらゆる面に関連することになり、政治というゲームを弄ぶ人たちも、必ず社会各関係及び社会的矛盾と直面しなければならなかった。どんなに完璧な法律体系であろうと、中国社会におけるあらゆる関係の全てを規範することなどはできない。また、今日になっても、中国の法律体系自体にまだ不備がある…というようりも完備というには、甚だしい隔たりがあると言えよう。このようなことにより、政客らは思いのままに法律を玩弄することができるようになり、法律を踏み躙るためのより広い空間を提供したことにもなった。中国の“労働教養”制度は、中国の政客らが“法律”というものを蹂躙する典型的な事例である。

 いかなる国家のどのような法律であろうと、必ず各国家の立法機関によって制定されるべきであり、それで初めて法律と称することができる。この世界の多くの国家においては、法律は各国の議会が制定すると定められている。今の中国でも、法律は中国人民大会常任委員会が、制定することとなっている。中国の“立法法”も、法律は人民大会常任委員会が制定することされており、国務院及び公安部などの各部門は、行政法規を制定することしかできないと規定されている。

 1982年、中国公安部の決定により、国務院が中国“労働教養”試行(暫定)方案を発布した。その当時、試行の行政法規に過ぎなかったが、その後公安部は“試行”の二文字を削除した。しかし、中国人民大会常任委員会の許可を取れなかった。故に、これは名目上における行政法規であって、まだ法律と称するには至っていないのである。

 中国の“行政処罰法”でも明文化されているように、行政処罰は公民の人身の自由を制限することができないと定められており、つまり行政法規によって処罰された公民というのは、その人身の自由を制限することができないとされている。そして、“労働教養”制度は法律ではなく、行政法規とされている。と言うことは、“労働教養”処分とされた中国公民の人身を拘束することは、できないと言うことになる。

 ところが、“労働教養”制度が明文化することによって、“労働教養”に処された中国の公民を、厳格に人身の自由を制限することができると規定している。現実に“労働教養”に処された中国の公民は、“労働教養所” あるいは“教養院”とも呼ばれている施設に監禁されているのである。そこでは厳格に人身の自由は制限されており、逃亡防止のための施設も整えており、警官が24時間監視している。もし、一人でも逃亡したならば、その警官は免職することになる。逃亡した場合、公安部は全国に指名手配をし、一旦捕らえられれば、刑罰も加重されることになる。“労働教養”と処された場合と通常の刑事刑罰の場合とは、同等の期限内においては、肉体上において受ける処罰は同様である。

 しかし、精神的面の処罰において、“労働教養”される人が受ける苦痛というものは、刑事処罰よりも、もっと過酷である。中国の監獄においては、受刑者の思想を改造するという義務があるが、しかし一般の監獄における思想改造の体系は、労働教養所の体系ほど完備されたものではなく、その方針も明確なものではない。

 “労働教養”制度における方針は、強制労働及び思想教育を通して、“労働教養”される中国公民の思想を改造し、あるいは洗脳と称すると明確に規定されている。強制的に人間の思想を改造することを目的とする制度は、人類社会の誕生以来において、かつてなかったものである。古代以来どんなに邪悪な政府であろうと、強制的な方法を通して公民の思想を改造するような制度を制定するような邪悪なことは一度もなかった。古より、ただ中国共産党だけが、その強制的な手段を通して、公民の思想を改造するような制度体系を有しており、それが“労働教養”制度である。この制度は、人類社会の邪悪な制度の集大成とも言え、邪悪な勢力が人類社会を制度の角度から、その人々の道徳及び良心を迫害する具体的な体現でもあり、ヘロインなど比較にならないほどの精神的麻薬である。

 それでは、このような違法で邪悪な制度が、なぜ今日の社会になってもまた存在するのであろうか?それは邪悪な輩たちが、人目を欺くために玩弄した芝居の結果である。まず、該党は文化大革命の際に、公検法つまり公安、検察院、法廷は全て無用の長物であるとし、中国の法律体系から廃除した。しかし、公検法の作用を発揮するために、人を勝手気ままに逮捕することは出来ない為、逮捕するときには公安部門で執行するとした。社会上において、他の部門は人を逮捕する権力が無い為、農村などでは、公安部門が人を逮捕するのは合法的な結果であると考えられている。

 法律が十分完備されていない今日の中国では、いかにも当たり前のように、公安が人を捕らえることは、法律を犯したからであり、法を犯さない限り、逮捕されることがあろうか、と当たり前のように考えている。その理由というのは、今は文化大革命の時期ではないからである。故に多くの善良な農村の人々は、中国では公安部門だけが人を捕まえることが出来、他の部門は出来ないと考えている。

 このように、中国の世論及び社会的心理の観点による普遍的な認識は、公安が誰かを捕らえるということは、その人が法律を犯したからであり、その後の検察院の検察責任及び法廷の審判責任ということは、制度上の問題にすぎず、ただ量刑の部門であり、それ自体には法律を犯すような問題はないと考えられている。邪悪な集団は文化大革命を通して、公検法を廃除し、公安の権力を復活されるために、中国公安の権力を全ての法を超えたレベルにまで引き上げた。

 改革開放路線の伸展につれて、社会風習及び社会道徳が一千里のごとく滑落し、各種の醜悪な現象が氾濫し社会的災害となった。昔中国社会にはなかったものも、改革・開放と共に、一気になだれ込んできた。そして、大いに発揚し、大々的に広められ、その成り上がりの見苦しさはさらに酷いものだ。まさに法も神も眼中におかないような有様である。しかし、このような勢いの下、社会秩序を維持するために、現行法の手順に従っていては、治安に関する問題の解決は容易ではない。そのため、中国共産党は自身の統治を維持するために、1970年代末〜80年代初頭にかけて、“厳打”ということを打ち出したのである。それは、より厳しくより速く各種の社会犯罪及び各種の社会醜悪な現象を打撃するということである。このような方針の下では、検察院の検査、法廷の審判などを通しては、より厳しくより速くという目的を達することができない。このような背景の下、中国共産党はすでに停止されていた“労働教養”を、堂々と復活させたのである。

 一方では、中国共産党は“法に依って国を治める”というスローガンを掲げているが故、“労働教養”は法律に抵触するものである。ならば、いかにして法律に適合することができたのであろうか?共産党はある秘策を練った。それは、“労働教養制度は、中国の特徴を活かした法律制度”であると言うことである。中国的な色合いさえ取り入れれば、それによって、政客らの道具と化してしまうのである。ところが、中国の『憲法』には、“中国公民は検察機関の許可がなければ逮捕されることはなく、中国公民は法廷の審判を通らなければ、有罪と判決されることはない”と規定されているのである。中国公民は法廷の公正な審判を通し、初めて有罪か無罪かを判決されるということである。この点は、西側諸国と同様である。

 対外開放の政策を実施しているが、その中でとても重要なことは、中国の法律も世界の法律と接しなければならないということである。国民が罪を犯したか否やは、法廷による公正な手順を通し審判を行うということは、近代国家としての紛れもない事実である。なぜ、中国では“労働教養”だけが法廷を通る必要がないのであろうか?公安のみの判断により、中国の公民に“労働教養”を決定することができるのであろうか?

 “労働教養”と決定されることは、有罪と決定したことではない。有罪と決めることができるのは法廷しかなく、公安機関は審判機関ではなく、行政措置を決定することしかできない。“労働教養”と決定されることは、有罪判決を下された訳ではなく、行政による最も重い処分であるとしている。

 しかし、『行政処罰法』に規定されているように、行政処罰は中国公民の人身の自由を制限する処罰を行うことは出来ない。行政処罰を受けた場合においては、どんなに厳しい行政処罰であろうと、どのような最高の行政処罰であろうと、中国公民の人身の自由を制限するような処罰をすることは出来ないのである。人身の自由を制限する処罰というもの自体、中国人民大会常任委員会が許可した法律のみが、設定できるとされている。従って、“労働教養”は、単に公安部門の一つの行政法規にすぎないため、人身の自由を制限する処罰を設定することは許されていない。

 “労働教養”制度というものは、仮にそれを『行政法規』としても、この制度は中国公民に対し、1〜3年までの人身の自由を厳格に制限することができる。それに“労働教養”機関は任意に、その期間を1年間延長する権限をもっている。故にこれは『行政法規』はは言えないのである。仮に、これを刑法だと見なしても、すでに制定された『刑法』があり、2つ目の『刑法』など必要はない。たとえ現行の『刑法』に不備であるとしても、それはただ『刑法』を修正するだけの問題であり、わざわざ“労働教養”を持って『刑法』の代わりに使う必要はない。他の法律だと見なしてとしても、何らかの領域に関する専門性を欠いている。故にこれは何でもなく、たとえ条文であったとしても、人民大会常任委員会の許可を得てはいない。それに『立法法』に規定されているように、人民大会常任委員会だけが、法律を制定する権力を有し、それ以外の中国のどのような部門も法律を制定する権力を持たないとされている。 

 中国の公安部門の制定した“労働教養”というものは、法律とはなり得ず、中国社会においても、不明確な存在である。法律という名を名乗っているが、法律とは全く関係を持たないものであり、正に法律を破壊する一つの化け物でしかありえない。この制度は中国の『憲法』を破壊するに留まらず、現行の『行政処罰法』、『刑法』、及び『立法法』をも破壊するものである。中国に於ける法律体系中の癌である。更に、その罪悪を覆い隠すためのスローガンを掲げているのである。これこそが、この制度の最も邪悪な部分である。

 1999年以来、法輪功を迫害することに、積極的に関与したものが、人々にその“法律の衣を着ながら、法律を破壊する”ということを指摘されてからというもの、新たな手段を講じだした。自分たちが、人を教育感化するための“学校”であると。それではこの“学校”と言うものはどのように“人を教育感化”しているのであろうか?

 学校とは従来有益な知識を学ぶ場所であり、文化的な場所でもある。ある学校が、有益な知識を学習させず、文化的な行為を提唱せず、集中キャンプのような管理の下、政治的目的のために、暴力及び憎しみを宣伝するようであれば“学校”と呼べるのであろうか?学校という名を乗りながら、実質的には人類の文明を破壊するものに過ぎない。

 中国の“労働教養所”は、法律の執行機関でもなく、また育英の学校でもない。これは愚昧無知を宣伝する場であり、憎しみというものの加工工場であり、中国共産党の邪悪の展示場であり、神をも冒涜する魔の巣窟である。このような化け物は、解体すべきであり、その存在をこれ以上許すわけにはいかないのである。

 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/5/29/75873.html