日本明慧


法輪功学習者のお陰で、正直な弁護士は生き残り(写真)(上)

 【明慧ネット2004年6月27日】(大紀元記者趙子法による報道)北京の女性弁護士倪玉蘭は、強制撤去現場を撮影したことで公安にめった打ちされて、身体障害者になってしまっただけではなく、拘留に加えて判決まで言い渡されました。獄中での1年間、善良な法輪功弟子の世話があったからこそ、彼女は災難から生き延びることができました。残酷な事件が起きる前の倪玉蘭と写真と比べて見ると、このように聡明で美しい女性弁護士は現在自分一人で立ち上がることすらできず、松葉杖に頼って数歩ずつ進みながら陳情に行っています。こんな彼女を目にする周りは、痛々しくなんて酷いことなのだろうと誰もが嘆息をもらします。

倪玉蘭の健康時の写真
15時間にわたって滅多打ちされ、身障者となった倪玉蘭

 しかし、彼女は何度もめった打ちされ、長期に渡って拘留されましたが依然として横暴な政府に頭を下げませんでした。彼女のこのような不屈の精神を見て、警官らも倪玉蘭を“江姉、江雪琴”(中国の解放戦争中、確固不動な精神で全国に広く知られる女性共産党員)だと感心しています。この残酷な事件を起こした原因は一体何でしょうか?ここで、私達は健康と仕事を失って陳情に来ている倪玉蘭を取材しました。彼女は「この政府は法律を守らず、法に背き規律を乱しています。だから、私は彼らに法律を守って下さいと求めると彼らはかんかんに怒り、私に黒い手を出しました。中国というこれだけ広い土地で、この政府はこれだけ無法の限りを尽くしています!私は、必ずこの正義を返してもらいます。私達は、全世界の人々に呼びかけます:中国には人権というものがありません。この政府はオリンピックを控えて、それを理由に国民の財産を好きなだけ勝手に奪い取ります。値段をいい加減に決めて、それを納得しないと暴力をふるう、逮捕または判決を言い渡すなど下品の極まりのない行動を取ります。これは、国民の政府ではなく、『ごろつき政府』そのものなのです」と話しています。

 ※正義ある弁護士は職務を履行していて、公安は意図的に拘留してめった打ちした

 倪玉蘭は今年43歳で、弁護士という職業に従事して18年になります。建物の取り壊しを巡って、政府から強制的に撤去を求められている住民趙申さんは北京西城区政府の弁償が不合理であるとして、近隣住民と倪玉蘭を招いて政府が如何に横暴であるか証言して欲しいと頼みました。
 
 2004年4月27日、倪玉蘭は拆迁事務所(政府の行政命令で建物の取り壊すに当たって住民の撤去などを管理する専門事務室のことを指す)の目を避けて、人混みにまぎれて現場を撮影している時、二人の政府拆迁事務所のスタッフに見つけられました。彼らは彼女のカメラを奪って、フィルムを取り出して駄目にしました。西城区政府の拆迁事務所のスタッフは公安を呼んできて、倪玉蘭を新街口派出所に連れて行くように命令しました。 

強制的に取り壊す現場に警察が決めた警戒区域に立ち入り禁止

 公安は、倪玉蘭を派出所に連行し、事務室にいたすべての保安人員を追い出して、副所長の趙玉経(音)が倪玉蘭を縛り付けて押し倒すと、所長の謝立国、卞衛東、程光遠、張研文(音)、楊林(音)、石建星(音)などの8人の公安は、一人一部位ずつ彼女を殴ったり蹴ったりしました。そして、その一方“余計なことに首をつっこむな”とののしりました。 倪玉蘭は苦痛の余り悲鳴をあげました。

 記者:「お聞きしますが8人の警官はどんな道具を使って、あなたを打ったのですか?」

 倪玉蘭:「彼らは道具は使いません。彼らはみんな訓練を受けています。彼らは蹴ったり、腕のひじで押し付けたりします。私の太ももと下部位は彼らにやられて、太ももの筋一本が切れて、小便には血が混じっていました。彼らは人に傷を負わせておきながら、考えを変えないと出られないとさえ言います。とんでもないならず者なのです。」

 15時間めった打ちされてから翌日の午前3時になって、倪玉蘭はすでに大小便を漏らすようになり、数回意識不明になりました。公安は倪玉蘭のいわゆる『撮影』を理由に、派出所でめった打ちされて悲鳴をあげている彼女に『騒ぎ立てすぎ』という罪名、公安らはまた刑罰執行中の倪玉蘭に『警官を殴ったり蹴ったりした』というでっち上げで彼女を10日間の拘留処分を言い渡しました。この時、倪玉蘭はすでに体が不自由になって歩くことすら出来ない状態でした。10日間の拘留期限が過ぎても公安は釈放せず、引き続き拘留しました。関係者の分析によると、実のところ、公安らは彼女がまだ完治していない怪我を持って告訴されることを恐れていました。彼らは彼女の傷を古い傷にしてからやっと釈放しました。結局、彼女は合わせて75日間の拘留をさせられて、しかも、その間彼女は公安からいかなる拘留処分の書面証明も貰っていませんでした。
拘留期間中、公安はまた徹底的な根絶を企んでおり、倪玉蘭を精神病院に閉じ込めて一回きりの苦労で永久に楽にしてあげようと彼女に精神病があると公言し、こっそりと倪玉蘭の精神状態の鑑定を行いました。ところが精神病鑑定の結果は正常であったため、公安は最後的に、しかたなく彼女を釈放するしかありませんでした。

 この時、彼女はすでに身体障害者になってしまい、左足は真っ直ぐにしないと歩けない状態で頚部の腰部と左胸は深刻に変形しました。そして、胸にはこぶができていて、ベッドに横たわる時でさえ人の助けがないと出来ませんでした。

 ※男に負けない女傑の正義は堅く、節を曲げて生き長らえるくらいならむしろ玉砕を選ぶ

 釈放されてから倪玉蘭は、各部門に無罪を訴えましたが公正な受理をしてもらうどころかかえって、政府からの責任追求を招きました。

 2002年8月から、倪玉蘭は更に上部の行政に無罪を訴えはじめて、ここで、彼女の険しい陳情の歴史がスタートしました。

 2002年9月27日倪玉蘭は、北京市人民代表大会常務委員会に新街口派出所の残虐な体刑、つまり、新街口派出所の26、27歳の警官劉俊傑と30歳余りの警官閏修建がそれぞれ彼女の頭部と足を持ち上げて、何度も下に体を押し付けて、倪玉蘭の尾骨を踏んで骨折させた事実、しかも、彼女に拘留及び判決を言い渡した事実などを訴えました。

 倪玉蘭は「西城区検察院は証拠を捏造して、架空の証人の偽証を行いました。西城区裁判所は、本人に知らせもせずに弁護士のいない情況の下で裁判を行い、司法官の米徳志は「公務上阻害」という罪名を私に負わせて有期懲役1年の判決を言い渡しました。」と言いました。その期間中、彼女はさんざん苦難を受け尽くして、身長165センチもある人が出獄した時は、標準体重の50キロから35キロまで痩せこけていました。

 警官は、また倪玉蘭が持っていた600元の金と金の指輪一つ、そして、彼女が警官の不法案件に関して調査処理した録音テープ、ノート、資料などを全て奪い取りました。倪玉蘭は「彼らは勝手に人の物件に手を出しても、たとえば金にせよ金の指輪にせよ、まったく登録しておらず、自分のものとして占有します。果たして彼らは何に基づいてこれらの拘留中で人の財産を奪い取ったりするのでしょうか?果たして彼らには、これだけの権利があるのでしょうか?」と憤慨して述べました。

 残忍であることは功績であると新街口派出所警官の劉俊傑は、無料の旅行券を報奨として獲得しました。倪玉蘭は「これらのすべては、所長の訓話の下で警官が働いた悪事であり、所長本人がやった法に背き規律を乱した事を部下の警官に負わせて自分の犯罪を覆い隠すのがその目的です」と話しました。

 出獄後、刑罰の履歴があるとして、倪玉蘭は仕事を失いました。しかし、弁護士の経験から彼女は法律の格式をわかっていました。彼女は、裁判所に保存されている拘留当時の刑罰公文書のコピーを調べました。裁判所に保存されている公文書はコピーできないため、倪玉蘭は公文書の内容を一文字一文字書き写しました。

 倪玉蘭は上記の証拠を持って、北京最高人民検察院に向かって、新街口派出所の公安から受けられた残虐な体刑、検察院と裁判所が架空の証人証言を利用した偽証案件などを告訴しました。しかし、二年も過ぎましたが北京最高人民検察院は未だにこれに対して、まったく無関心で、提訴をしてくれません。かえって、倪玉蘭のほうがいつも脅迫されたり殴られたりし、甚だしい場合は、最高人民検察院の官吏でさえ彼女をゆすります。“国民”の最高警官まで国民を威圧することは、既に珍しいことでなくなりました。

 2003年7月18日倪玉蘭は、自由アジアラジオ放送局の取材を受け入れてから3日目、彼女は公園で再び新街口派出所に逮捕されて、三日間の拘禁をされました。罪名は『公共秩序を妨げた』というものでした。倪玉蘭は、憤慨して「公園にいることがどうして公共秩序を妨げることになるのでしょうか?その上、拘禁されて3日間、彼らは食事を取らせず、トイレにも行かせないなど不当な手段で私に苦痛を与えました」と言いました。

 西城区公安支局の投書・陳情窓口の薛という警官は、何度も陳情に行っている倪玉蘭に、帰って2日間くらい待ちなさいと何時も言い逃れました。倪玉蘭は「結局、私達は2年も待たされましたがまだ提訴してもらえず、今なおいかなる結果も出ていません。彼らは提訴すべき案件を提訴せず、解決すべき問題を解決しようともしません。例えば、拆迁工作人員は私のカメラを奪い取る権利がありません。彼はカメラを奪い取る行動に出た時点ですでに法を犯しています。新街口派出所は、2003年7月28日にやっと形式上で案件を受理しましたが、未だに提訴できていません。だから、私達はずっと彼らに法律上の職責を履行することを求めています」と説明しました。
政府は、未だに倪玉蘭に法医学専門家の鑑定を許していません。これによって、彼女は身体障害証明を受け取ることができないがばかりではなく、車椅子を買うことも出来ません。ここ2年の間、毎日陳情に行く度に夫が自転車に倪玉蘭を載せて、あちこち走り回ります。2人乗り禁止法の規定によって、交通警察から罰金を求められた時、倪玉蘭の心の怒りは一箇所だけに留まりませんでした。「規定は多くあります。国民の財産と安全を保護すべきであると定めていますが、国民の財産である建物を強制撤去している現場を撮影した私を、あなた達警官はいかなる理由で、めった打ちにしてこのような身体障害までもたらすのですか?」

 交通警察は、色々な話を聞いているうちに倪玉蘭は、実際自分のためではなく、他人のために市民の建物を強制撤去している現場を撮影したことで、ここまで迫害されている事情を知って、彼は倪玉欄の手を取って感動の余り言葉もありませんでした。倪玉蘭は「強制的に撤去させられている中には実際ところ、警察も含まれていますが、もし、彼らが陳情に行くとなると職場から首になり、一家の生活の保障が駄目になってしまう恐れがありますが実際、彼らも深く同情している」と言いました。

 新街口派出所:010-65253861/65253891
 西城公安支局:投書・陳情窓口010-83995205 責任者:薛氏 当番室83995169
 西城区裁判所ホットライン:010-68357528 司法官:米徳志  行政庁庁長:万黎黎

 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/27/78113.html