輪廻転生は神が人間に対する慈悲である
■ 印刷版
 

 【明慧日本2020年1月8日】遠い昔、人間は「私(し)」のために業力を造ってしまいました。慈悲なる神は人間にもう一度天国に戻る機会を与えるため、三界を作ってくださり、業力を減らすため、輪廻転生が現れ、異なる覚者が三界に下り、人間に修煉文化を伝授してくださいました。

 末劫の時期に、この千古の機縁を逃さないため、創世主は神伝文化、修煉文化を系統的に按排されました。中国はまさにその大きな芝居の主舞台でした。しかし、今の人は道徳水準が著しく低下し、神が導いて下さる道からますます遠ざかり、その上、中国共産党から「恨み」、「無神論」、「進化論」を注ぎ込まれ、人々は大法が世間で人を救済していることを全く分かっていません。

 私たちの周りに起きたすべてのことは決して偶然ではなく、それは縁によるもので、業を返しているです。しかし、「無神論」や「進化論」の影響で、常人は不公平なことやトラブルに遇った場合、対抗や闘う等の方法で解決しようとしています。

 修煉者は、内に向けて探し、忍耐することによって問題を解決しなければなりません。なぜなら、いかなるトラブルや難の発生も偶然ではなく、それには因縁関係があり、それは以前にやった悪いことによる業力が起因で、それは自分の心性を高めるよいチャンスと理解しなければならないのです。

 もし修煉者として、長い間我慢せず、善を修めず、法理を正しく悟らず、神が按排してくださった心性を高める機会を拒否するのは、神を敬わないことです。自分が耐えるべき業力を耐えなければ、常人が造った借金を返したくないのと同じです。

 輪廻転生の中で、神は人間一生の貴賤貧富、生老病死を定めてくださいました。自分に属さないものは、頑張っても入手できないし、自分の財産であれば、自然と手に入って来るはずです。修煉者がもし強い執着心を持って蓄財をし、金稼ぎに奔走するなら、それは「心が正しくない」行為で、魔難を招くことになるでしょう。神が与えてくださった財産を超えるものを求めるのは、神を排除し、神に反しているからです。

 師父は「做して求めざれば 常に道中に居る」[1] と説かれました。人間社会の中で修煉をしていれば、自然に任せることは最もよい方法です。一部の同修は常人のことに振り回され、身体が老けて見え、元気がなくなっています。

 輪廻転生の中で、神は人間がいつ何をするかをすべて定めてくださいました。結婚もそうですが、修煉者はそれを心配する必要はありません。他人の生活、妻、子どもの運命も神によって按排されており、人間は神が決められた脚本通りに実行しているにすぎません。修煉者が時間と体力をこれらのことに費やしてしまうのは、自分を大切にしていないことなのです。

 修煉の中での少しの体得です。適切でない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道の中」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/20/397247.html)
 
関連文章