14年間刑務所に拘禁された王自成さん 再び連行
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 【明慧日本2020年6月23日】北京市の法輪功学習者・王自成さんは2019年4月、三度目の懲役5年6カ月の実刑判決の刑期を終え、前進刑務所から出所した。しかし、帰宅して1年余りの2020年6月8日、王さんは平谷区公安分局峪口派出所の警官らに再び連行され、当日の夜のうちに平谷区留置場に送り込まれた。

 王さんは北京市平谷区馬坊鎮にある工場に勤めているが、6月8日、仕事中に平谷区公安分局峪口派出所の警官ら4人によって連行された。その理由として、王さんが峪口鎮で法輪功の資料を配ったことで、人に通報され、監視カメラにも姿を撮られたという。

 王さんは法輪功の信仰を堅持したため、3回も実刑判決を下され、計14年の間、刑務所に拘禁された。

 また以前、王さんは平谷区盤峰ホテルの職員だった。法輪功を学び続けているために、ホテル側に不当に解雇されたことがある。

 中国共産党の当局の法輪功への誹謗中傷の宣伝に騙されないように、王さんは人々に法輪功の真相資料を配り、法輪功が迫害されている真実を伝えた。そのため、2003年、王さんは懲役5年の実刑判決を宣告され、北京の前進刑務所に収容された。刑務所ではさまざまな残忍な迫害を受け、2008年10月に出所した。

 王さんの妻・張愛平さんは2003年、法輪功の真相資料を配ったという理由だけで、当局の裁判所に懲役4年の実刑判決を下され、北京市女子刑務所に拘禁され、心身ともに苦しめられた。夫婦ともに刑務所に入れられたため、幼い子供たちの世話ができなくなった。

 2009年11月29日、王さんは平谷馬坊派出所に連行された際に、名前と住所を言わなかったため、警官に両腕を背中に回されて手錠をかけられ、意識を失うまでの40分の間、暴力を振るわれ続けた。

 しかも、その11カ月後の2010年10月に、王さんは懲役3年6カ月の判決を言い渡され、北京の前進刑務所に収容された。

酷刑演示:罚坐小凳子
拷問の再現:小さな椅子に長時間座らせる

 2010年10月15日、警官は王さんを「転向」させるため、受刑者8人を利用して王さんの監視役をさせた。王さんは長時間にわたり10㎝位の高さのプラスチック製の椅子に座らされ、全身が少しも動かないように強いられ、少しでも動くと受刑者らに罵られた。毎日十数時間も座らされた王さんは、14日目になると、臀部の皮膚が腐り始め、両足の感覚がなくなり、脚も腫れあがった。

 その後、王さんは刑務所の病院で「無理な姿勢で長時間座っていたため、坐骨神経の重い損傷による両下肢の痺れ」と診断された。その数カ月後、病状がますます酷くなった王さんは普通に歩けなくなり、自立生活ができなくなった。

 そして、刑務所の病院に入院した王さんは、2週間ほど内容不明な薬物を注射されたため、頭痛を起こして記憶力が低下し、血圧も突然170㎜Hgまでに上昇した。それに、不眠症にもなった。

 その間、家族は何度も刑務所の所長に会い、王さんが拷問を受けたことを話したが、所長は認めず、病院側と共謀して前の医療診断を否定した。それで、家族は再検査を強く求めた。その検査の結果、腰椎、頚椎は正常で、やはり前の診断が正しかったが、刑務所側が問題を解決しようとせず、家族に「訴えるなら訴えなさい」と言った。2013年5月、王さんは出所したが、両足は歩くことが困難な状態のままだった。

 王さんは帰宅して6カ月も経たない内に2013年10月29日、平谷区の巡回の警官ら3人が平谷中学校付近で法輪功の真相資料を配っている王さん夫婦を連行した。それから、平谷区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官は王さん夫婦を濱河派出所に送り、王さんを鉄の椅子に固定し、一晩中座らせた。そのため、王さんの古傷が再発し、両下肢が麻痺して歩けなくなった。その後、王さんの弁護士は王さんの釈放を申請したが認められず、その上、この案件に参与した警官らは誰も責任を負わなかった。

 平谷裁判所は2014年8月、両下肢が麻痺した王さんに懲役5年6カ月、妻の張さんに懲役4年6カ月の実刑判決を言い渡した。

 2019年4月末に、王さんはやっと刑期を終え、前進刑務所から帰宅した。しかし、王さんはまた、平谷区公安分局峪口派出所の警官らに連行されたという。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/13/407634.html)
 
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