大切な思い出
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 【明慧日本2020年7月7日】私は教師です。1998年から法輪大法の修煉を始めました。かつて甘やかされて育ち、利己的で傲慢な一人娘の私は大法の修煉を通じて、今は人のために考え、善の心をもって周りの人々や物事に対処することができるようになりました。

 修煉の過程で、たくさんの貴重な思い出があります。それらは脳裏に深く刻み込まれ、いつも真珠のように輝き、私を感動させ、和ませ、励ましてくれます。

 初めての朝の煉功

 1998年8月、14歳の私は母について修煉の道に入り、毎日家で五式の功法を煉っていました。冬になり、母から、村の蘭おばさんはボランティアの輔導員で、同修たちが毎朝6時に彼女の家で朝の煉功をしているので、私にも参加するようにと勧められました。私は好奇心がある一方で、第二式の「抱輪」の時間が長くなると、姿勢が崩れる自分が同修に笑われないかと心配し、それに朝早く起きるのが大変なので、行きたくありませんでした。しかし、母が毎日早く起きて朝の煉功に参加するのをみて、自分も行くべきだと思い、12月のある日の早朝、私は母について行きました。

 北方の冬はとても寒く、朝6時になってもまだ明るくなりません。蘭おばさんの家の広い庭にはすでに数十人が集まり、整然として列をなし、静かに立っていました。初めて煉功場に行きましたが、同修たちはみんな笑顔で、私の心はほっこりと暖かくなりました。

 師父は説かれています。「皆さんがご存じのように、正法の修煉をしている者には次のような感覚があります。つまり、正法を修煉してきたので、慈悲を重んじ、宇宙の真・善・忍という特性と同化しているため、学習者はこの場に座るとみんな感じることですが、頭に邪念が浮かぶこともなく、タバコを吸うことすら思い浮かばず、和やかな雰囲気に包まれて、とても心地良く感じます。それはほかでもなく正法修煉者の持っているエネルギーが、この場の範囲内で作用しているのです」[1]

 私と母も皆さんと一緒に庭で煉功しました。寒い冬なので、蘭おばさんは自宅の西の大きな部屋を空け、薪ストーブで暖房し、室内でも煉功できるようにしてくれていました。私は手袋をしていなかったため、しばらく経つと指が凍え、やっと第一式が終わりました。第二式の抱輪が始まる前に、蘭おばさんは私の前に来て「あなたは初めてなので、外は寒いから、部屋の中で煉功しなさい」とやさしく言いながら、私の手をとって部屋に入りました。

 部屋の中には年配の同修と私のような新しい修煉者でいっぱいになり、私の場所がありませんでした。しかし、みんなは私を見て、自発的に体を斜めにして、子ども弟子の私に薪ストーブに一番近い場所を譲ってくれました。部屋がいっぱいなのをみて、若いお姉さんが自ら外に出て煉功しました。抱輪が終わると、そのお姉さんは急いで部屋に入って来て、薪ストーブの前で手を温めてから、再び外に出て煉功を続けました。その人の顔と手が寒さで赤くなっているのを見て、私は気が咎めました。煉功が終了した後、そのお姉さんと他の同修が私を褒め、励ましてくれました。私はとても嬉しく、また、自信も増しました。

 初めて朝の煉功に参加した私は、大法弟子の修煉環境に溶け込み、そして大法弟子の善良さとその強固な信念を強く感じました。その後、私は積極的に朝の煉功に参加するとともに、さらに多くの人々に法輪大法の福音をもたらすべく、同修たちについて大法を広めています。

 あたたかい配慮に感動

 1999年7.20、江沢民は個人的な嫉妬により、卑劣な手段で法輪大法を誹謗中傷し、大法弟子に対する残酷な迫害を引き起こしました。母は大法の修煉を放棄しないため、職場を解雇されました。それ以後、一家の生活は父の僅かな給料に頼るしかなく、家の経済状況はとても厳しくなりました。

 当時、私は高校に進学し、授業料、宿泊費、それに毎月数百元の食費を支払う必要があり、家の経済はさらに悪化しました。 家族の負担を軽減するため、私は必要な生活用品以外は何も買わず、ぎりぎりの生活を送っていました。

 2000年の秋のある日、私が自習で宿題をしていた時、担任の先生は数人のグループのリーダーを呼び、話し合いをさせました。 数分後、彼らは戻って来て、意味ありげにまた嬉しそうに私に言いました。「早く行って。担任の先生があなたを呼んでいるよ」。私はすぐに立ち上がって「何のこと?」と尋ねると、リーダーの1人が「いいことだよ。早く行きなさい!」と言って促しました。

 急いで担任の先生の事務室に行くと、先生が座っていて、机の上に筒封が一つ置かれていました。先生はやさしい口調で「私たちは1年以上一緒に勉強し、生活してきましたね。あなたはクラスの生活委員として、みんなのためによく頑張りました。しかし、同級生たちはあなたがいつもとても古い文房具を使っていて、筆記用具箱がすっかり錆びても換えないのを見ましたが、お家が経済的にとても困難ではありませんか?」と聞きました。私は頭を下げて、何も言いませんでした。

 先生は机の上の封筒を手にして「この学期、私たちのクラスに1人分の補助金・数十元が下りました。あなたにあげるべきだと全員が同意したので、これで新しい文房具を買いなさい」と言いました。私はそれを聞いて涙がたちまち流れ出しました。私は「ありがとうございます。でも、それは他のもっと困っている同級生に回してください」と言いました。私は再三辞退しましたが、先生に「あなたは良い子で、これはクラス全員の投票の結果なので、安心して受け取りなさい」と言われ、私は感動して封筒を受け取って教室に戻りました。同級生たちの善良で無邪気な顔を見ると、また涙が流れ出しました。

 この出来事からすでに20年近く経ちましたが、思い出す度に、同級生たちのあの時の配慮に感動します。同窓会があれば私は必ず参加し、彼らに私や母、それに幾千万人の大法弟子が受けている迫害について話し、法輪大法の真相を伝えています。同級生たちは私の話を認めるだけでなく、大法を学びたいと言う人もいました。そして大法を修煉し続ける母を祝福すると共に、私の身の安全を心配してくれました。

 善良な人々

 母は法輪功の修煉を続け、関連部門や天安門で平和的な陳情をしたため、610弁公室の人員や警官、村の治安担当者などが数十回家に来て、嫌がらせをしたり、脅迫したりしました。

 2001年の春、母は警官に連行され、地元の洗脳班に入れられました。洗脳班は秘かに山地に設けられ、母と他の大法弟子はその小さな建物に不当に拘禁されました。「610弁公室」の人員や警官、地元の村民委員会の幹部などが24時間体制で大法弟子の言動を監視し、彼らに修煉を放棄するよう脅迫しました。

 修煉をしていない父は毎日のように村民委員会の幹部に呼ばれて説得され、母の状況を伝えられ、圧力をかけられ、それに度々洗脳班まで呼ばれて、母を説得して転向するよう強いられました。警官は母が転向しなければ、3年の労働教養になると脅かしました。大きなプレッシャーで崩れそうになった父は、苦痛のあまり何度も泣いていました。まだ学生だった私にとって、圧力が大きすぎて、常に恐怖に包まれていました。

 週末の休みになり、私が学校から家に帰ると、村の人が我が家にやって来て、母が北京へ陳情しに行かなければよかったのにと言いました。私は「母のしたことは正しかったと思います」と話しました。すると、その人は何も言わず、すぐに行ってしまいました。夜になり、私は簡単に夕食を準備して父を待っていましたが、家に帰った父はまだ食事をしないうちに、また村民委員会に呼び出されて説得されました。

 夜10時が過ぎても父はまだ戻らず、外では風が強くなり、一人ぼっちで私は怖くて眠れず、母の事を考えるとさらに不安でいられませんでした。その時、心細い私の側に誰かいてくれればと思い、近所に住む同級生の静さんを思い出しました。以前、私は静さんに家に来て一緒にいて欲しいと言いましたが、彼女のお母さんに反対されました。それでも、私は走って静さんの家に行きました。

 静さんの家の窓にまだ明かりが灯っていたので、私は外で静さんの名前を呼び、戸を開けてもらいました。部屋に入ると、家族が就寝の準備をしていました。私は「家に誰もいないので、ちょっと怖いから、静さんに来て一緒に寝てほしい」と言いました。静さんのお母さんが「お母さんは?」と聞き、私は「母は法輪大法をしているために、警官に連行されました」と言いました。それを聞いて、静さんのお母さんはため息をつき、静さんに「行ってあげなさい」と言ってくれました。

 私の家に着いて、静さんは「あなたのお母さんはあんなに良い人なのに、警察はどうして捕まえるの?」と不思議そうに聞きました。私は母が法輪大法の修煉を放棄しないために迫害されていると伝えると、静さんは真剣に聞いていて、とても母に同情し、そして私を慰めてくれました。その夜、私はぐっすり眠れました。

 あれから10年以上も経ちました。すでに結婚した静さんが里帰りしていたので、私はわざわざ彼女に会いに行き、大法の真相と「三退」について伝えました。静さんは「法輪大法は良い人になるように教えていますね!」とはっきり言い、躊躇なく「三退」しました。現在、静さんは人が羨ましがるほどの家庭を築き、仕事をし、そして彼女の家族も皆幸せな生活を送っています。これは当時、静さん一家の大法弟子に対する善行と大法の真相をはっきり知ることよる善い報いだと思います!

 修煉の道で、私はたくさんの善良な人に出会いました。全てが師父の按排であり、私を励ましてくださいました。絶えず精進し、人々に大法の福音を伝え、素晴らしい未来をもたらします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/16/407332.html)
 
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