師父が按排してくださった道を歩む
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文/中国の大法弟子・青蓮

 【明慧日本2020年8月8日】私は20歳の女子大生です。 私は母のお腹の中にいた時からすでに法輪大法の修煉が始まっていました。私は大法に縁があり、20年間ずっと法輪大法の中で修煉し、その恩恵を受けています。 ここで、私自身が修煉中にあった幾つかの出来事を紹介します。

 幼い頃、三輪車に頭を轢かれても完治

 3、4歳のころ、母は私を三輪車に乗せて実家に帰るところでした。私は小柄でじゃじゃ馬だったので、三輪車の上で動き回り遊んだりしていて、突然、車から落ちてしまいました。母が振り向いた時、すでに私は三輪車の車輪に轢かれて、頭からたくさんの血が出ていました。母は私を抱いて急いで家に戻り、私の頭の出血の手当をしてから、ずっと法を読みながら師父が私を守ってくださることを願っていました。

 母は師を信じ、大法を信じて大法の基準に従って行なっていました。毎日私は母に法を読んでもらい大法の恩恵を受けていました。このようにして私は後遺症もなく完治することができました。

 師父と大法を信じ、中共組織に入らず

 中学2年生の時、成績優秀な人は全員、中国共産主義青年団への入団願書を書くようにと学校に言われました。 私はクラスで学級委員を務めていましたので、クラス全体から入団申請書を集めてクラスの担任の先生に渡しました。 次の日、担任の先生は私を呼び出し、なぜ私の申請書が入っていないのかと聞かれ、また、中国共青団へ入団しなければどんなに良くない影響が出るかを私に教えてくれました。

 その時、大法弟子は中共の組織に絶対に入ってはいけない、師父と法を信じるべきだという母の忠告を思い出しました。心の中に正念を発しながら、担任の先生に「入団するのに自分で決めてはいけませんか? 私は入団したくないので申込書は書きたくありません」と話しました。先生はそれを聞いて、何も言わずに私を授業に戻させました。

 熱湯でやけどしても、傷跡が全然残らなかった

 高校の3年間、私は家から遠い高校に通っていて、月に一度しか家に帰れませんでした。学業が忙しいため、昼休みだけ学法をしました。春のあるお昼に、私はキッチンでお湯を沸かし、宿舎に行き髪を洗う準備をしました。宿舎の風呂場に着いた時、魔法瓶の取っ手がとれ、魔法瓶全体が地面に落ち、沸かしたばかりのお湯が私の両足の太ももにかかりました。それは歯を食いしばるほどの痛みでした。私は、直ぐに冷水で太ももを冷やしましたが、やけどした皮膚は剥がれてしまい、肉が露出していました。

 私は、大法弟子だから、高い基準で自らを律しなければいけないと思いました。痛みを我慢し、床に散らばった魔法瓶の破片をきれいに片付けてから、自室のベッドに上り(私は二段ベッドの上だったため)、扇風機を付けて傷口を風に当てました。そして、大法の本を取り出し、壁にもたれながら学法を始めました。昼休みが終わり、傷口をティッシュで綺麗に拭き、ゆったりとしたズボンに履き替えて、授業に行きました。

 いつも、私たちは2時間目と3時間目の間に走ります。私は先生に「やけどをしてしまったので、走れません」と言って、欠席をするつもりでしたが、ふと考えてみると、「私は大法弟子ではないか? 毎日のように走るべきだ」と思いました。そして、私は通常通り授業を受け、毎日走りました。夜に宿舎に戻って見てみると、ズボンと傷口が摩擦で擦れて、悲惨なことになっていました。しかし、同じ宿舎にいる友達は、私の身に起こったことに気付いていませんでした。

 お昼に、私が傷口を処理している時、向かいのベットにいる友人に「何してるの?」と突然話しかけられました。私が振りむくと、彼女は私の太ももにある傷を見て、「それどうしたの?」と聞いてきました。私は彼女にやけどの話をしました。彼女は絶対に病院で見てもらった方がいいよ! と言い、医者である彼女の母親に電話をかけました。彼女の母親は、「やけどした後すぐに処置しないと、感染症を引き起こしたり跡に残るよ」と言いました。

 結局、宿舎にいる全員が知る事となり、私に病院に行くように勧められました。当時、私が思ったのは大法弟子は、師父を信じ、旧勢力の按排を否定すべきで、「念は正しくすれば、悪は直ぐに崩れる」 [1] のです。私は彼女たちに「皆が、私のために言ってくれているのは分かるけれど、私の足は随分良くなっています。皆さん思い出してください。私は毎日皆さんと一緒にランニングしているではありませんか。もう痛くありません」と言いました。すると彼女たちは、何も言わなくなりました。

 このように、病院に行かず薬も塗らずに半月後に傷口が癒え、1年後には傷跡も無くなりました。

 師父が按排してくださった道を歩む

 大法を修煉しているため、私の成績は幼い頃から上位でした。ある英語のテストで、文章の意味に沿って単語を記入するという単語穴埋め問題がありました。私は、その単語は頭に浮かんでいましたが、どうしてもそのスペルが思い浮かびませんでした。そこで先にほかの問題を解いてから、考えようと思いました。最後の5分間で、どんなに頭を絞って考えても、その単語のスペルを思い出す事ができませんでした。この時、後ろの人が答案を回収している時に、何が書いてあるかを見てみようという正しくない考えが頭をよぎりました。それはカンニングではないかと思い、私は大法弟子で、「真・善・忍」に従って自分を律しなくてはならず、ごまかすのは真ではなく、してはいけないのです。

 師父は、「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]とおっしゃいました。そして、私はその名利を追求する心を放下したその瞬間に、突然先程の単語のスペルを思い出し、答案用紙に記入した後に終了のチャイムが鳴りました。

 その後、この出来事は、私の名利心、私の不誠実な心を取り除くために按排されたのだと悟りました。それ以降、私は毎回テストの時には平常心を保って臨んでいました。高校受験の時でも、他の生徒は焦ったり、緊張したりしている中で、私は毎日時間をつくって学法を続け、試験の対策期間中はとてもリラックスすることができました。そして、私は地方で一番良い教員を養成する大学に合格することができました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/2/408080.html)
 
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