若者弟子:色欲心について
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文/海外の若者弟子

 【明慧日本2020年8月11日】私は1999年の「7.20」以降に生まれました。幼いころから家族と共に法輪大法を修煉し、海外で大学に通い、今年で3年生になります。慈悲なる済度に加え、健康な体と良い成績、そして無限の幸福を与えてくださった師父に感謝しています。

 私は同修Dさんの紹介で、大法の活動を通じてある若者弟子H君(男性)と知り合い、お互いに仲良くしていました。初対面の日、Dさんからは、この大法の縁を無駄にしないように、お互い切磋琢磨して協力し合い、さらに大きな力を発揮して衆生を救うようにと忠告されました。大法弟子として、私たちは接し方を厳しく律しなければなりません。常人の情や愛を混同してはならず、正々堂々と修煉して、しっかりとこの道を歩んでいかなければなりません。

 私もH君も共に精進し、自分たちを厳しく律していくと決心しました。しかし、半月の間に、私の変異してしまった多くの観念や、強い色欲心、また、様々な執着心などが暴き出されました。学法をしたり、明慧ネットに載っている同修たちの交流文章を読んだり、身近な同修たちとの交流などを通じて、ようやく目が覚めました。後々になって深い恐怖を感じ、本当に後悔しています。

 常人社会に流されながら、私は自分のことを保守的で、伝統的で、目線が高く、常人の開放的な男女関係の誘惑には負けないとずっと思っていました。夫婦が賓客に対するように互いに相手を尊重し合う穏やかな生活こそ、正統な関係であると頭では分かっていました。しかし実際に恋愛と直面すると、やはり自分は現代の変異してしまった観念に操られて行動していることに気づいたのです。H君と接するとき、常人のドラマや映画のシーン、そして、常人の友人たちの経験などと照らし合わせながら、優しくて、頼りがいのある彼との時間に幸せを感じていました。

 H君と接して3日目、私たちは礼儀正しく、お互い尊重しあう同修から熱愛中の恋人同士まで滑り落ちてしまいました。時々親密な接触があっても、色欲心にコントロールされたまま何も抵抗せず、それどころか、恋愛はこういうものだと自分に言い聞かせていたのです。恋する気持ちを楽しみながらも、私たちは学法や煉功などを疎かにしなかったので、法からは逸脱していないと思っていました。その後、まずは学法や煉功などを終わらせてから他のことをするようにスケジュールを調整すべきであると思ったものの、私自身が三日坊主のように、少し時間が経つと、色欲心がまた湧き出てきたのです。

 修煉と常人の生活の順位を調整することは、実は本末転倒であり、重要な点から逃げているのです。「先に恋愛、後に学法」は深く隠蔽されたずる賢さと申し訳なさを抱きながら自分の過ちを挽回しようとしているのです。「先に学法、後に恋愛」は自分の放任な態度に保険をかけているようなものです。それなのに、私たちは常人よりはしっかりしていると思い込み、絶対に侵してはならない男女関係の一線を保っていれば、相手の家を訪ねたり、手を繋いだり、抱き合ったりしても構わないと認識していました。

 師父は「悪事を働いている人に、それは悪事だよと注意してあげても、信じない人がいます。彼は本当に自分が悪いことをしているとは信じません。また低下した道徳水準で自分の行動を判断し、他人よりましだと思っている人もいます。判断の基準まで変わったからです。しかし、人類の道徳基準がどんなに変わろうとも、この宇宙の特性は変わることはなく、それが良い人と悪い人を量る唯一の基準です。ですから、修煉者としてはこの宇宙の特性に照らして、自分を律しなければならず、常人の基準で自分を律してはいけません」[1]と説かれました。

 学法して、ようやく本来あるべき男女関係の姿をすっかり忘れ去ったことに気づき、自分はまさに「その場を離れると、元の木阿弥」[1]なのです。自分を法に溶け込ませなければ、真の修煉者ではないのです。私はすぐにH君にメッセージを送って謝りました。私自身が法理を明白に認識せず、修煉においても精進せず、口を修めなかったことが原因で、彼との空間場に多くの腐敗物を招き入れてしまったのです。いかなる時でも、H君はまず同修であり、その次に彼氏なのです。常人よりしっかりできている部分でも、さらに高い次元から見れば、本当はまだまだ足りていません。

 この最後の肝心な時、私たちは共に歩むことを選んだので、自分たちの修煉に責任を持たなければなりません。女子として、私は更に慎重でなければならず、彼に男女の境界線を教え、旧勢力に隙を与えないようにしなければなりません。H君も私と接するときの問題点に気づき、たくさん学法し、一刻も早く法の中で自分を正さなければならないと言いました。

 次の日、H君と会いました。法をたくさん勉強し、明慧ネットに載っている色欲心に関する交流文章も読んだと言ったH君はすでに冷静沈着になり、礼儀正しく私と接するようにしています。しかし、私はまだ彼への依頼心を取り除いていないので、直ぐには慣れませんでした。以前のようにH君の手を繋ごうとしましたが、彼は冗談を言いながら巧妙に避けたのです。その瞬間、嫉妬心や怨恨心、屈辱感などが生まれ、怒りを感じました。お互いの問題点に気づいたのは私で、助言もしてあげたのに、今では、彼の方が私よりしっかりしているし、私を遠ざけるなんて、と気分が悪くなりました。

 なかなか冷静になれませんでしたが、その後の全体学法の時、師父の「青空に漂っていく雲、私の願いを親愛なる人に渡して下さい、私は彼女と共に精進し、共に努力しよう」[2]という詩を読んだとき、執着していたものを瞬時に取り除くことができ、心が楽になりました。私とH君は神韻公演の手伝いで知り合いました。非常に神聖で純粋な縁なのに、私はこの道をまっすぐ進めませんでした。H君がこの問題で向上することができて、同修としては喜んであげるべきであり、同時に、自分自身も見習って精進しなければなりません。

 学法の後、同修のDさんが、私の状態が少しおかしいことに気づき、話しかけてくれました。彼女は、私たちのことを弟や妹のように思っていると言い、私たちが色欲心の深刻さに気づいていないのではないか、また、自分のせいで若い2人の同修を誤った道へと進ませたら大変だ、と怖くなったそうです。Dさんの誠心誠意な気持ちと言葉に、私は自分の言動に心を痛め、後悔しました。

 師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[3]と説かれました。家に帰り、師父の色欲心に関する説法を写すなどして、学法を増やし、また、明慧ネットに載っている同修たちの色欲心に関する交流文章も読みました。以前感じていた怒りや嫉妬は真の私ではなく、それは自分の空間場内の色魔が満足せず、私を操れなかったことに悔しさを感じていたのです。心を静めて色魔による妨害を発正念で除去し、全面的に悪い思想を否定しました。しかし、それでも時々、H君といるときのことが蘇り、悔しいし、恋もしたいと思ってしまい、集中して発正念することができません。

 師父は「もし自分をわきまえることができれば、あなたは『これは私ではない。あなたは勝手に考えなさい。本当の私は入静する。あなたがむやみにいつまで考え続けるのか見てみよう』と考えればいいのです。つまり、それを他人の考えだとするのです。もし本当に自分を見つけ、それをわきまえることができれば、この方法でもいいのです」[4]「精神的な重荷を背負わず、間違ったら再び良く行なえば良いのです。以前のことは考えないで、これから如何に良く行なうかを考え、自分自身と衆生のために本当に責任を負うようにしてください」[5]と説かれました。

 腐敗物に支配されてはいけません。自らの主意識をはっきりさせるのです。再びH君に会ったとき、以前感じていた粘々した物質が取り除かれたのを感じ、お互い他の同修のようにごく普通に接することができました。これからはH君と共に修煉の道を歩んでいきますが、以前のような独占欲や、男女の情といったものは全く感じられず、心がすっきりしました。

 師父は「医学的に、快楽を司る神経が刺激され、発達すると依存症になると言われていますが、そうではありません。どういうことでしょうか? 時間が経つにつれ、あなたの体にあなたの姿形と全く同じもう一人のあなたが出来上がります。このもう一人のあなたは執着によって構成され、あなたを制御しています」[6]「もちろん、このあなたは麻薬摂取以外のことにまったく興味はありません。麻薬がなければ、麻薬をやめれば承知しなくなります。なぜでしょうか? すでに生き物になったからです。生き物になってその後どうなるのでしょうか? 皆さんが分かっているように、麻薬を摂取しなければ、もう一人のあなたは体の新陳代謝とともに薄くなり、徐々に薄くなり、死んでしまうのです。死にたくないので、薬物を吸入するようにあなたをコントロールし、もう一人のあなたを増強するのです」[6]と説かれました。

 色欲心を取り除くのに時間がかかり、何回も同じことを繰り返すこともあるでしょう。例えば、ここ最近、H君との長電話で多くの時間を無駄にしてしまいました。以前、彼との親密な接触が原因で、色欲という物質が別空間でもう1人の自分を形成しましたが、今では、主意識が強くなり、別空間の物質がかなり弱まりました。しかし、完全になくなったわけではないので、常に気を付けなければなりません。

 お互いの隙に気づいたら、すぐに注意するようH君と約束しました。同修として、面子を重んじる心や、他人にとやかく言われたくない心を放下しなければなりません。この最後の時に、法をたくさん勉強し、まっすぐ前に進まなければなりません。

 残された少ない時間の中で、私は精進して実修し、さらに多くの衆生を救っていきたいと思います。

 私のつたない認識が、他の若い同修の参考となることを願っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「私の願いを持っていって」
 [3] 李洪志師父の経文:『妨害を排除せよ』
 [4] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』
 [6] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/17/408864.html)
 
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