嵐の中でも 夫は大法を信じて疑わない
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年8月20日】私は1998年8月から大法修煉を始めました。修煉する前、乳がんを患い、乳房切除手術を受けました。病状が重く、傷口がふさがらず、ずっと膿が出ていたため、2日ごとに病院へ行って、傷口の処置をしてもらわなければなりませんでした。1カ月経っても傷口が治るどころか、むしろ悪化しました。私はとても怖くて心配で、強いストレスを感じました。その時、私は38歳でしたが「生きていても辛いことだけだ。死んだ方がましだ」と思いました。その後、私は食事も水も摂れなくなりました。家族は私をとても心配し、夫は居ても立っても居られず、どうすれば良いのか分かりませんでした。

 そんな時、同僚が『轉法輪』のコピー本を持って見舞いに来ました。「法輪大法を学ばないか」と勧められ、法輪功を学んでから起きた様々な奇跡的なことを話してくれました。私は興味がわき、両手で『轉法輪』を受け取り、開いて見たら師父のお写真が目にとまりました。「この方に見覚えがある。どこかでお会いしたことがある」と思ったのですが、どこでお目にかかったのかは思い出せないため、私は『轉法輪』を読み始めました。読んでから7日目、なんと傷口がふさがり、痛みもなくなり治っていました。夫はその過程を実際に見てから、「この本はすごい、本当に不思議だ」と思い、自分も読まなければいけないと思ったそうです。本を手にすると、「法輪が回転している」、「本の中の文字が、幾層にも重なる神佛となっている」等と言いました。その後、中国共産党に迫害される試練の中、夫は私と一緒に居て、大法を深く信じて疑いませんでした。

 1999年7.20以降、中国共産党は、大法と大法弟子を迫害し始めました。大法と師父の法を実証をするため、私は2度も北京へ行きました。1回目は7月20日当日で、自転車に乗って行ったのですが、途中で追い返されました。2回目は2000年12月で、当時、家には重病を患っていた母がいましたが、夫も今回行けば、どんな結果が待っているのかはよく分かっていました。しかし、夫は「お母さんの面倒は僕が見るから、安心して行きなさい」と強く後押しをしてくれ、私を駅まで送ってくれました。

 天安門広場に到着すると、私達はすぐに捕えられ、天安門派出所に連行され、宣武区留置場に移送されました。その後、河北省の北京駐在事務所に送られたのですが、地元の派出所の警官によって連れ戻され、15日間も不当に拘束された後、さらに洗脳班に送られました。

 その頃、夫は1人で公安局や派出所に行って、警察に私を解放するように求め、そして、警官らに大法の素晴らしさ、自らが恩恵を受けた経験を話し、修煉者は皆善良な人であるのかを伝えました。夫はまた、家に残った法輪功迫害の実態が書かれた資料を周りの住宅に投函したり、出会った人に手渡しをしました。当時の夫はまだ大法修煉をしておらず、ちょうど失業中で、収入もなく、子供の教育費や生活費のため、仕事を探さなければならない厳しい状況にありました。しかし、どこへ行っても、夫は法輪功迫害の実態を自ら進んで人々に話しました。

 私は拘束から解放されましたが、派出所の警官、役場の役人、住民委員会の者からたびたび嫌がらせを受けました。毎回、夫が彼らに対応してくれました。夫は彼らに、「大法の師父は妻に新たな命を下さいました。このような素晴らしい功法を煉らないわけがありません。あなた達は妻の命を救えますか?」と言いました。夫の大法に対する確固たる正念に、彼らは一言も反論しませんでした。

 今回の新型肺炎(中共ウイルス)が流行してから、夫は封鎖された住宅地の中で、住民に法輪功迫害の実態を話し、三退を勧めました。武漢で多くの人が亡くなっているのを見て、夫はとても心配になり、自分が武漢に行ってもっと人を救いたいと言いました。夫は正式に大法修煉に入った今、「絶対、師父を失望させないようにします」と言いました。

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/24/407171.html)
 
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