残酷に迫害された朱艶さん 57歳の若さでこの世を去る
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 【明慧日本2020年9月24日】(中国吉林省=明慧記者)中国吉林市の法輪功学習者・朱艶さんは、中国共産党(以下、中共)の強制労働教養を2度受け、度々の不当な拘束、指名手配により彼女は放浪生活を余儀なくされた。朱さんは長期にわたり心身ともに残酷な迫害を受け、2020年8月15日、無念な思いを晴れせないまま、57歳の若さでこの世を去った。臨終直前の朱さんは力を振り絞って「法輪大法は素晴らしい!」と唱えた。朱さんの息子・曹陽さんは中共の迫害で精神異常者になった。

 朱さんは中国吉林市龍潭区甲罐窑鎮の住民であり、生まれつき善良で、謙虚でかつ公平な性格、どんな状況下でも寛大さを持って他人に接していた。朱さんは 1998年8月、法輪大法の修煉を始めて以来、大法の「真・善・忍」に同化するように努力し、自分に厳しく律していた。

朱艳

迫害により死亡した朱艶さん

 1999年7.20、邪な中共は法輪功迫害を開始した。朱さんは人身の自由を奪われ、強制労働教養を繰り返され、拘束による迫害を受けて幸せな生活をしていた4人家族は一変した。夫妻は離婚し、幼かった2人の子どもは面倒を見てくれる人がなく、路頭に迷い自力での生活を強いられた。母親の釈放を求める幼い2人は、警官に殴られ、息子さんは精神異常者になった。

 以下は朱さんと幼い子どもたちが受けた迫害事実

 一、不当に北京密雲刑務所、永吉県口前留置場に拘禁されて迫害された

 1999年7.20、中共は法輪功迫害を始めた。朱さんは、濡れ衣を着せられた李洪志先生の潔白を晴らすために、北京へ陳情に行った。北京で警官に連行され、北京密雲刑務所に収容された。

 刑務所で朱さんは警官に殴打され、手かせや足かせをかけられ、ひざまずかされ、直立不動の姿勢で立たされ、両手を地面につけてしゃがみ込まされ、数人の男性警官に尻を蹴られ、座っている時、警官が両足の上にあがり強く踏みつけるなどの迫害を受けた。朱さんは心身ともに苦痛を受け、人格を侮辱された。

中共酷刑示意图:背铐、电击、棒打、踩踢
拷問のイメージ図:手錠、スタンガンで電撃、殴打、蹴る

 地元に連れ戻された朱さんは、吉林省永吉県口前留置場で強制洗脳を受けさせられた。朱さんは自分の信仰を放棄しないため、1カ月間拘束された後、罰金500元(約7700円)を科され、釈放された。職場からは解雇された。その後、警官は朱さんを重要人物として迫害し、絶えず嫌がらせを行なっていた。

 二、強制労働2年を課せられたが、収容を拒否される

 2003年、朱さんは法輪功迫害の実態を伝えたため、警官に連行され吉林市第三留置場に拘束された。そして、強制労働教養2年を科されたが、迫害により健康状態がよくないと判断した労働教養所側は、受け入れを拒否した。この時、朱さんの夫は中共の圧力に屈して朱さんと離婚した。

 三、長春黒嘴子労働教養所で受けた迫害

 2005年11月、朱さんは路上で不当に連行された。朱さんの家族は何も知らず、2人の子供は母親を探し続けた。そして、母親が連行されたとことが分かった。1カ月後、朱さんは長春黒嘴子労働教養所に収容された。

 2人の子どもの面倒を見てくれる人がなく、それぞれ路頭に迷った。

 朱さんは労働教養所で強制洗脳を受けさせられた。朱さんは大法を信じ「真・善・忍」に対する信仰を放棄しないために、心身ともに苦痛を受け、毎日、巨大な圧力に耐えなければならなかった。

 四、さらに1年半の強制労働教養を受けさせられる

 2008年4月24日、オリンピックを前に中共は「ノルマ」を決め、多くの学習者を強制連行した。罐窑派出所の警官・王連生など数人が、朱さん宅に押し入り、朱さんに「あっちこっちに行くな、修煉するのなら家で真面目に修煉しないと」と言った。

 2005月12日、罐窑派出所長の王と数人の警官は再び朱さん宅に押し入り、朱さんと娘さんに対して「法輪功の修煉は禁止されている」と言い、朱さんを強制連行する理由が見つからなかったのだが、「明慧ネットに掲載した文章は誰が書いたのかを、確認するために所まで同行するように」と言った警官に騙され、朱さんは信じてついて行った。朱さんはそのまま1年半の労働教養を科され迫害を受けた。

 五、放浪生活を余儀なくされる

 2012年7月31日、朱さんの義姉・郭英傑さんが警官に強制連行された。同時に朱さんの息子・曹さんなど3人が連行され、朱さんは強制連行から免れた。

 同日夜、警官は朱さんの賃貸アパートを不当に捜索し、大法の書籍やパソコン、プリンター、衛星放送の受信設備十数台、迫害の真相資料とDVDなどの物品と現金を押収した。

 この時の行動は吉林市長・張暁霈自らの指揮の下で行った。国家秘密警察、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関 )、市公安局、昌邑区公安局、昌邑区刑務大隊、市昌邑区駅前派出所などが共謀し、「対策本部」を設置して、警官による待ち伏せなどの手段で朱さんを連行しようと企んでいた。

 この時、朱さんはお金も無く、路頭に迷う放浪生活を強いられ、精神的な苦痛と心理的なストレスは言葉で表すことができない。

 六、母親の釈放を求めた朱さんの子ども2人 警官らに殴打され負傷

 2006年6月12日正午ごろ、朱さんの子ども2人は罐窑派出所前で、母親の釈放を求める横断幕を掲げた。すると、所長・陳新柱が大声で叫んだ「横断幕を破り捨てなさい」。4人の警官は横断幕を奪い取り、所長の指示で警官4人は子ども2人を殴打した。

 この時、多くの見物人がいた、所長・陳と、指導員・朴成鋼が子ども2人に全力で殴り掛かり、脚蹴りをしていた。陳は曹さんを殴り倒し、今度は女の子(法輪功の修煉をしていない)に殴りかかった。2人の子供は大声で「警官が暴力を振るっているよ」と叫んだ。

 所長・陳は「法輪功に関わることだ、殴るのは当たり前だ」と言って、さらに殴りかかった。曹陽さんの唇から血が流れ、頭部にこぶができて瘀血(おけつ)し、背中と手を負傷して地面に倒れた。

 警官が女の子(曹月さん)を地面に押し付け、陳は曹月さんの髪を強く引っ張って地面から起こして殴り、そして地面に押し付けてはさらに起こし、曹月さんの髪は大量に抜け、衣服が破れていた。陳はさらに曹月さんの腰に蹴りを入れた。

 見物していた人が止めに入り「警察が暴力を振るうのは違法だ、ましてや未成年の子を殴打している」と警官を叱責して涙を流した。正義ある市民は「(警察)を訴えなさい、私達が証人になります」と言って、多くの人が電話番号を2人の子供に渡した。

 2012年、曹さんは連行された。悪辣な警官は彼に拷問を加えて自白を強要し、狩犬を使って脅迫し、鼻にワサビや度数の高い酒を注入して、曹さんの生命を危険に晒した。

 そして、20歳になった曹さんは迫害されて精神異常者になり、それでも留置場に拘束された。市長・張暁霈は曹さんを釈放しないように指示し、懲役5カ月を下した。家に帰った曹さんは、精神病院に送られて迫害されている。

 2017年、朱さんは息子ととも錦州に住む娘の家に向かった。しかし、中共は身分証明書なしで電車のチケットを購入しようとしたとして、鉄道警察に拘束されて身体検査を受けた。

 七、生命の最後の一刻に朱さんは「法輪大法は素晴らしい!」と唱える

 朱さんは、中共の長期にわたる残酷な迫害に耐えきれず、2020年8月15日の正午ごろ、座ったままこの世を去った。生命の最期の一刻に法輪功学習者は朱さんに「意識はありますか?」と尋ねた。すると、朱さんは力を振り絞って「法輪大法は素晴らしい!」と唱えたのである。

 このようにして、一人の善良な法輪功学習者が、中共の迫害により生命を奪われた。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/20/412033.html)
 
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