【明慧日本2020年9月27日】河北省唐山市遷西(せんせい)県の法輪功学習者・柴淑珍さん(70歳女性)は1年あまり拘禁された。7月、家族は柴さんがすでに河北省女子刑務所に収容されたことを知ったが、具体的な日にちは知らされていなかった。
柴さんは2019年7月12日、尹庄市場で法輪功が迫害されている実態を人に伝えた際、警官に連行された。その後、唐山市第一留置場に送られた柴さんは遵化市裁判所に2回にわたって不当に開廷された。そして、柴さんは2019年11月15日、懲役1年6カ月の実刑を下されたが、判決を不服として唐山市中級裁判所に控訴状を提出した。しかし、同中級裁判所の人員が柴さんを説き伏せたため、柴さんは控訴を撤回してしまった。その後、ウイルスが蔓延したことにより、柴さんの消息も絶たれてしまった。
柴さんの家族は何度も唐山市第一留置場に電話をかけて柴さんの状況を聞き、留置場へ行って面会を要求したが、柴さんのことを一切教えてもらえず、面会を拒否された。今年7月、再び第一留置場に電話をかけたところ、「柴淑珍を河北省女子刑務所に送った」と告げられた。その前に家族は何の通知も受けていなかった。
そして、家族は河北省女子刑務所に電話をかけ、柴さんがいるかどうかを確認したところ、「あなたの身分がわからないので、教えられない」と言われた。その後また、「心配しないで、ここにいるよ」と言われた。
その数日後に家族は刑務所からの電話を受けた。そこで初めて「私は大丈夫よ」と言う柴さんの声を聞かされた。家族はもう1年以上も柴さんと会っていなかった。
一、苦しんだ半生の後、2人の娘を亡くして失意のどん底に
柴さんは遷西県興城鎮南観村に在住、15歳のときに父親が肝臓がんで亡くなった。母は再婚して柴さんと妹を連れて南観村にきた。家事をよくやっているものの、新しい父親の負担を減らすため、柴さんは家を離れ、親戚の家に行った。嫌なことがあると、柴さんはいつも誰もいない所へ行って、一人で泣いた。その後、大人になった柴さんは東北の人に嫁ぎ、娘2人と息子1人を産んだ。しかしある日、娘2人が麻疹になって入院したとき、医者がどんな薬を使ったか分からないが、次女が入院した翌朝に亡くなった。長女も高熱で下がらずに白い歯が黒くなり、3日間苦しんだ後に死亡した。当時、娘たちは9歳と12歳だった。柴さんは心が折れて飲食を絶ち、誰とも話さず、夕方に河岸に行って泣きながら苦痛を訴え、飛び降り自殺をしようとした。しかし、ふと息子のことを思い出し、自分が死んだら息子の世話をする者がいなくなると思い直して、家に帰った。その後、柴さんは精神的な苦痛から抜けられず、心臓病、気管支炎、皮膚病、高血圧症、めまいなどの病状が現れた。
失意のどん底に陥った柴さんは佛教に帰依し、毎日佛教の経文を唱え、寺院などいろいろなところを尋ねたが、やはり巨大な苦痛から抜けられずにいた。
二、法輪大法に出会い、新たな人に生まれ変わる
1997年3月のある日の朝、柴さんは街でたくさんの人が功法を練習しているのを見かけた。その人達の動作は優美で表情が穏やかで、煉功の音楽を聴いた柴さんはとても気持ちがよかった。どんな功法かと聞いてみたら、法輪功だと教えてくれた。柴さんも学びたいと思って、『轉法輪』を買って帰った。本を読むと感動し、本を抱いて大泣きし、「私は今回、本当の修煉法に出会った。大道を見つけた」と言った。
法輪功を学んで、柴さんは病気が治り、久しぶりに笑顔が出た。夫も「妻が新たな人に生まれ変わったようだ」と嬉しそうに話した。それから、柴さんは遠い所へ行き、以前の佛教の仲間に会い、「私は本当の大法に出会ったの。皆この本を読んでみてほしい」と勧めた。
三、法輪功を学び、いつも人のことを優先に考える
2007年、柴さんの夫が交通事故で亡くなった。一人暮らしになった柴さんは生活の最低ラインで生活しているが、善を持って人と接し、人のことを優先に考えた。妹の夫は脳血栓になってから農業ができなくなり、柴さんは毎年の秋に妹の家に行き、秋の収穫を手伝った。
ある日、妹は柴さんに新しい服を買ってあげた。柴さんはその服を着て、街である貧しいお婆さんに出会った。そのお婆さんは柴さんの服を触って、きれいな服だね、と言った。すると、柴さんはすぐにその服を脱ぎ、お婆さんにあげた。
ある広場で、柴さんはある女性に会い、その婦人が「急用でお金が必要です。どうかお金を貸してくれませんか」と柴さんに頼んできた。柴さんはその時にお金を持っていなかったが、親戚から300元(およそ4700円)を借りてその女性に渡したという。
数年前、柴さんは他の二家族と共同に賃貸していたが、水道、電気の費用を代わりに支払うこともあり、返してくれないこともあったが、気にしなかった。
四、10回にわたって連行される
柴さんは人生の目標が探せたと喜んでいた時、1999年7.20に江沢民グループが法輪功への弾圧を発動した。柴さんはどうしてもこの素晴らしい大法がなぜ、こんなに誹謗中傷されでたらめな攻撃を受けるのか、とても理解できなかった。柴さんは「娘2人を失ったときの苦痛より、心が痛んだ。もっと多くの人が法輪功を学びに来ればいいのにと思っている」と話した。
1999年7.20以降、柴さんは法輪功を学んでいるという理由で、10回も連行され、累計で1000日間拘禁された。
1、1回目の連行
2001年1月11日、柴さんは自宅で遷西国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に連行され、家宅捜索を受けた。その後、警官は柴さんに拘留15日の通知書を渡したが、柴さんは法輪功を放棄する「保証書」を書かなかったため、15日の拘留期間が18カ月になった。
拘留の2日目、柴さんは手錠をかけられ、二十数人の学習者とともに警官にまるで荷物を扱うかのように、大きなトラックに投げ入れられ、街中を引き回された。その後、中心広場で刑事犯と一緒に、「公審公判大会」(市民大会なので判決を当事者に宣告すること)で拘留を宣告された。
当時、遷西拘留所は留置場と同じ区画で、公安局の裏庭にあった。そこで、柴さんはいつも手錠をかけられ、罵られた。ある日、柴さんが煉功していて、当直の警官に見つかり、所長に報告された。そこで、所長は柴さんを当直室に呼び出した。柴さんは両腕を手錠にかけられて椅子に繋がれ、刑事犯2人に頭を押さえられて、お椀半分の量の石灰のような薬物を入れるために、胃に挿入されたチューブから強制的に飲まされた。所長は悪意をもって「お前、病気のために煉功しただろう。この薬が病気に効くんだ」と言った。それ以後、柴さんの胃はずっと調子が悪く、食事の時、お椀半分のトウモロコシ粉のお粥しか食べられなくなった。
柴さんの夫はカーペット工場の元職員で、失業して毎月200元の生活費しかもらえず、田舎から卵を買って、市場で売ることで生計を立てていた。ある日、夫が卵を売って儲かった10元でたばこ2箱を買って、当直の警官・高印松に渡し、柴さんとの面会を求めた。翌日、高印松は留置場に来て、煉功している柴さんの姿を見て、ほうきで柴さんを殴った。ほうきが壊れたため、高はまた靴で柴さんを殴り続けた。柴さんは全身があざだらけになった。
警官は柴さんに囚人服を着せようとしたが、「罪人ではないので、着ない」と柴さんは拒否した。それで柴さんは屋外に出ることも、家族との面会も許されなかった。
2001年、法輪功を学んでいない柴さんの夫は「法輪功を学んでいる」と通報され、国保の警官に連行された。そして、家族は夫を解放させるために1000元(およそ1万6,000円)を費やして、国保の警官らにごちそうし、さらに、警官に2000元を強請り取られた。警官は柴さんの夫に「このことを誰にも言うな。言ったら、またお前を捕まえてやる」と脅迫した。しかし、お金を取られたうえ、夫は2週間拘禁された。
柴さんは拘禁されている間、ある洗脳班に50日以上入れられた。2007年7月~8月、柴さんはまた、遷西ホテルに設立した洗脳班に入れられ、「転向」することを強いられた。
柴さんが10回にわたって連行された経歴
連行された時間 | 連行された場所 | 拘禁された期間 | 受けた処罰 | 拷問、家宅捜索、強請り取られた現金 | 連行の加担者 | その他 |
2001‐1‐11 | 南観村の自宅 | 18カ月 | 行政拘留15日だが、18カ月拘禁された | 街中を引き回され、公審公判大会を受け、殴打、罵られる、薬物迫害、強制洗脳、外出と面会を許可されず、拘留費用155元を支払う | 遷西県国保の警官 | 夫が2週間拘禁、国保の警官の食事費用1000元、国保の警官に2000元を強請り取られる |
2003‐9‐10 | 実家の黒竜江省肇源県 | 5日間と15日間 | 行政拘留 | 行政拘留費用161元を支払う、警官に100元を強請り取られる | 民競派出所、遷西国保の隊長・徐志剛 | 当時の国保の大隊長は朱振剛 |
2004‐6 | 遷西百貨店ビル前 | 15日 | 行政拘留 | 遷西国保の警官・王偉 | 当時の国保の大隊長は朱振剛 | |
2008‐7‐21 | 栗郷広場 | 六日間 | 拘留、労働教養処分 | 家宅捜索、500元あまり強請り取られる | 遷西国保の警官・何連鎖、派出所警官・王英 | 労働教養処分2年、身体検査が不合格で入所拒否される。当時の国保の大隊長は劉進穎 |
2009‐3‐14 | 新集祭り | 30日間 | 拘留 | 家宅捜索 | 遷西国保の警官4人 | 当時の国保の大隊長は劉進穎 |
2010‐4‐6 | 栗郷広場 | 遷西国保の警官4人 | 労働教養処分を受け、身体検査が不合格で入所拒否される。当時の国保の大隊長は劉進穎 | |||
2011‐6‐6 | 遠大モール付近 | 2カ月 | 刑事拘留 | 城関派出所副所長・王英ら十数人の警官 | 保釈で帰宅。当時の国保の大隊長は劉進穎 | |
2014‐2‐14 | 県の中心街 | 遷西国保警官 | 当日に帰宅。当時の国保の大隊長は李紹峰 | |||
2017‐12‐28 | 洒河橋鎮市場 | 当日帰宅 | 行政拘留、執行せず | 連行と尋問 | 洒河橋派出所警官。韓進秋、謝飛ら |
健康問題で拘留所に入所拒否され帰宅。当時の国保の大隊長は李紹峰 |
2019‐7‐12 | 尹庄市場 | 1カ月過ぎ | 行政拘留から刑事拘留へ | 家宅捜索 | 尹庄派出所所長・張少華、副処長・方江 | 判決1年6カ月を下されて、河北省女子刑務所に収容される。国保の大隊長は田潤友 |
2、2回目の連行
2003年9月10日、柴さんは実家の黒竜江省肇源県で民競派出所の警官に連行され5日間拘留され、拘留費161元(およそ2500円)を支払わされた。9月15日、遷西国保の警官・徐志剛は黒竜江省から柴さんを地元に送還し、100元を強請り取った。地元で柴さんはさらに15日間拘留された。
3、3回目の連行
2004年6月、柴さんは遷西百貨店ビル前で人々に法輪功の実態を伝えた際、国保の警官・王偉に連行され、15日間拘留された。
4、4回目の連行
2008年7月21日午前、柴さんは栗郷広場で人々に法輪功が迫害されている事実を伝えていた時、城関派出所の警官に連行された。午後1時過ぎ、国保の警官・何連鎖、城関派出所の警官・王英ら6人の警官が柴さんを連れて、柴さんの家に行って家宅捜索をし、法輪功書籍、法輪功の資料を押収した。26日、柴さんは労働教養処分2年を下され、唐山市開平労働所に送られたが、身体検査で不合格となり教養所側に入所を断られ、身体検査費用500元あまりを取られ、帰宅した。
5、5回目の連行
2009年3月14日、柴さんは新集祭りに出かけた時に尾行され、遷西国保の警官4人によって連行され、家宅捜索を受けた。その後、柴さんは遷西留置場に1カ月間拘禁され、4月12日に解放された。
6、6回目の連行
2010年4月6日、柴さんは栗郷広場で法輪功の真実を伝えた時に、当局の法輪功への誹謗中傷の宣伝を信じた人に通報され、遷西国保の警官に連行された。警官らは柴さんを開平労働教養所に送ったが、柴さんがひどい動悸になったので、責任を負うことを恐れて柴さんを連れ戻した。警官は柴さんに「このことを誰にもしゃべるな」と脅迫した。
7、7日目の連行
2011年6月6日午前、柴さんは遠大モール付近で人と話していた時、突然、走って来たパトカーから警官ら十数人が降りて来て、柴さんを連行した。柴さんは遷西県留置場に拘禁され、2カ月後に「保釈」され帰宅した。
8、8回目の連行
2014年2月14日、城関の街で迫害事実を人々に話していた時に、警官に連行された。当日、帰宅できた。
9、9回目の連行
柴さんは2017年12月28日、洒河橋鎮市場で人々に迫害真実を伝えたとき、洒河橋派出所の副所長などの警官に連行され、尋問をされた。その後、遷西県拘留所に送られた柴さんは、拘留所側に年齢と健康の問題で、入所を断られ、帰宅した。
10、10回目の連行
2019年7月12日午前、尹庄市場で迫害事実を伝えていた柴さんは、当局の法輪功への誹謗中傷の宣伝を信じた人に録画、録音されて通報された。そして、柴さんは尹庄派出所の警官に連行された。柴さんは15日拘留され、遷西県拘留所に入れられた。同月18日、柴さんは派出所の警官に拘留所から康力病院に連れられ、身体検査を受けた後、午後に唐山市第一留置場に移送された。2019年11月15日、遵化市裁判所は柴さんに懲役1年6カ月の実刑と罰金4000元(およそ6万2000円)の判決を下した。
11、数回にわたって嫌がらせを受ける
2008年7月中旬、当局が「オリンピックの安全のため」という口実で、2回柴さんの家に行き、嫌がらせをして脅迫した。
2010年、当局の「両会」(全国人民代表大会と全国人民政治協商会議)の期間中、柴さんはまた嫌がらせを受けた。2010年3月11日、遷西県国保の警官2人は柴さんの家に押し入って脅迫し、法輪功書籍を押収し、持ち去ろうとした。柴さんは警官を阻止したが、警官が1枚の紙を出して柴さんにサインを強制し、「サインをすれば、この本を押収しない」と言った。2010年3月15日、県610弁公室、国保の警官は再に柴さんの家に行って、柴さんにサインを強制したという。
五、残忍な拷問を受ける
柴さんは拘禁されている間、何度も残忍な拷問を受けた。警官はほうきで柴さんの背中を猛打した。その後、柴さんはまた薬物による迫害を受け、全身を縛られて真冬の夜中3時に窓を開け放たれ、下着だけで3時間にわたって鉄の窓に吊るし上げられた。
拷問のイメージ絵:吊るし上げられる |
毎回尋問を受けるとき、柴さんはほとんど手錠をかけられたままで、鉄の椅子に座らされた。尋問に答えなかった時、柴さんは長時間にわたって手錠をかけられ、睡眠をはく奪され、飲食を許されず、家族との面会を許可されなかった。
警官は何度も柴さんの家に押し入って家宅捜索をしたが、何の証明も提示しないまま行い、多くの私財を押収したという。