岳飛の手書きの「出師表」
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 【明慧日本2020年9月27日】中国共産党は岳飛(がくひ:注)を中国の教科書から削除したため、世界に衝撃を与えました。その理由として、中国が統一されてすべての民族が共存している今、岳飛について再び言及することは、民族の統一に影響を与えるためであるというのでした。これは、でたらめで理解できない言い分です。そして中国共産党の小中学校の教師は、児童や生徒にこのように教えています。岳飛の事績(事業と功績)は、 何千年もの間、常に人々の心の中で、忠誠心を持って国に仕えた英雄岳飛のことは、家ごとに誰もが知っていると言ってもいいのです。しかし、中国の教科書から削除されたため、本当に次の世代に災いをもたらすことになりました。

 中国では「字は人を表す」という言葉があります。その意味とは、ある人が書いた字を見ると、その人がどんな性格かが分かるのです。歴史の中で名人の書き残した字を見て、彼はどのような人物であるかを見ることが出来るでしょう。岳飛が残した手書きの「出師表:すいしのひょう」筆跡を見て、岳飛がどんな人物だったのかを想像してみましょう。

 紀元1138年、つまり南宋紹興8年のある日、岳飛は軍を率いて河南省南陽に渡り、雨の日と重なりましたが、岳飛は南陽諸葛亮の臥龍崗に参詣し、そこに泊まることになりました。夜になって、岳飛は秉燭(へいしょく)をしながら先代の賢者が壁に残した諸葛亮を称賛する詩や文章、前後の二つの「出師表」を見て、つい思わず涙が滝のように溢れてきました。

 翌朝、臥龍崗武侯祠の道士が岳飛のためにお茶を注いだ後、道士は文房四宝(筆墨硯紙)を出し、記念のために言葉を書き記してほしい、と岳飛にお願いしました。そこで岳飛は筆を執ると、勢いよく筆を運び、雄勁(ゆうけい)でよどみがなく、諸葛亮の前後の『出師表』を書き留めました。

 注:「岳飛」(ガク・ヒ 1103 ~ 1141)とは、南宋時代の武将であり、女真族に蹂躙(じゅうりん:暴力的に侵すこと)される中国大陸で、連戦連勝の後に非業の死を遂げた事から、中国最高の「英雄の中の英雄」といわれる人物である。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/24/412216.html)
 
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