錦州市の景翠珍さん 3年の労働教養と9年の実刑判決
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 【明慧日本2020年9月30日】(遼寧省=明慧記者)錦州市太和区の法輪功学習者・景翠珍さんは、中国共産党(以下、中共)による法輪功への残虐な迫害のもと、かつて労働教養を強いられ、実刑判決を下されて計7年間拘禁された。2016年5月10日に再び連行され、さらに懲役5年の実刑判決を宣告された。

 20年来、景さんは年中嫌がらせを受け、平穏な生活は1日も送れなかった。2009年8月、景さんの夫が迫害により死亡した時に、景さんは瀋陽女子刑務所で迫害を受けていた。

 景さんは親戚や村民の間で評判が良かった。法輪功を学ぶ前に景さんは、健康状態があまり良くなくて視力も悪かったが、法輪功に出会ってから明るくなり、困っている人がいれば熱心に助けるようになった。

 一、法輪功のために陳情に行き、迫害を受ける

 1999年4月25日、景さんは平和的な請願に参加するために北京へ行ったが、帰って来た後、錦州市女児河派出所の関係者により調査を受け、プレッシャーをかけられた。

 1999年7.20、景さんは再び北京へ行き、法輪功の無実を訴えた。そのため、景さんは豊台競技場まで連行され、夜に特別列車に乗せられた。列車の中にいるすべての人が連行された学習者で、銃を持った武装警察官らが並んでいた。列車から降りてから、公安局や派出所を経て自宅に戻った時、景さんの家はその間にメチャクチャにされており、法輪功の創始者の写真、法輪功の書籍などの私有物が押収された後だった。

 7月25日頃、景さんと他の学習者は、いつものように湯河子煉功で煉功を始めたが、女児河派出所の警官らがやって来て、テープレコーダーを強制的に取り上げた。派出所で、警官は景さんの胸を激しく殴ったり、腹部を蹴ったりして、景さんは立ち上がることができず地面に座り込んだ。

 1999年10月中旬、景さんは再び北京に行き法輪功の無実を訴えた。10月25日、景さんは天安門広場から密雲留置場に連行され、死人ベッドに縛り付けられ、トイレを禁止されるなどの拷問で苦しめられた。10月30日、景さんは地元に戻され、1500元(およそ2万3000円)をゆすり取られた後、15日間拘束された。

 二、3年の労働教養を科される

 2000年3月、景さんと他の学習者は自宅で煉功していた時、侵入してきた女児河派出所の警官らに連行され、テレビ、テープレコーダー、DVD機器を押収された。景さんはそこで1カ月間拘禁された。

 2000年8月18日、錦州市公安局の610弁公室は、太和公安局、女児河派出所と共同で、景さんを瀋陽市の馬三家労働収容所に連行し、3年間の労働教養を科した。

 3年間、景さんは睡眠を剥奪され話すことができず、家族との面会も許されなかった。労働収容所は、いつも法輪功を誹謗中傷し、法輪功の創始者を罵る言葉を学習者の耳元で言い続けた。ある日、警官は景さんの髪を掴んで頭を振り回し、その際に、景さんの髪が一束、一束と抜け落ちた。警官と囚人らはしょっちゅう景さんを殴り、拳で胸や腹などを直撃したため、景さんは全身の力が抜け、胸の痛みで食事が喉を通らなくなった。

 精神においても肉体においても長期的に苦しめられたため、景さんは、皮と骨ばかりに痩せこけて、肋骨が1本ずつはっきりと見えるようになり、もはや人間の様子ではなくなった。

 三、懲役4年の実刑判決を下される

 2007年8月25日の夜10時頃、景さんは他の学習者と一緒に法輪功の資料を配布している最中に、尾行していた警官らに連行された。当日の夜、警官らは家宅捜索を行い、パソコン、プリンター、カラースプレー、VCD、用紙を含めて、車3台分の私有物を押収し、夫の盛福吉さんを連行した。

 景さんと夫の盛さんは尋問室で滅多打ちにされ、目が充血しがて唇が腫れて変形した。警官はまた、景さん夫婦の両手を背中に回し手錠をかけ、それに木の棒を通して棒の両端を椅子にかけた。それから針金で足を縛り、逆さに吊し上げたため、手錠が皮膚の中に食い込み、景さんの手は饅頭のように腫れ上がり、膝は青紫色になった。景さんは唐辛子の汁を注がれた時、口をこじ開ける器具によって歯がすべて緩んだ。

 2007年12月11日午前9時、錦州市太和区裁判所は景さんに懲役4年の実刑判決を下し、瀋陽女子刑務所に送った。景さんの夫は、2万元(およそ30万9000円)をゆすり取られた後、懲役2年の執行猶予3年を言い渡された。

 四、夫の盛福吉さんが迫害死

 夫の盛さんは、懲役2年の執行猶予3年を言い渡された後に帰宅したが、女児河派出所の警官は定期的に現状報告をするように命じ、そのうえ、頻繁に報告書を書くように強要した。また、警官は夫の盛さんを困らせ、自分の意志に反した喫煙、飲酒、麻雀などを強制した。長期的に緊張する中で、夫の盛福吉さんは鬱(うつ)になり、2009年8月に死亡した。その当時、景さんは瀋陽女子刑務所で拘禁されていた。

 五、懲役5年の実刑判決を宣告される

 2016年5月10日夜9時頃、錦州市太和公安の国家安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)、および女児河派出所の警官らは、景さんの自宅に侵入し、景さんとその場にいた劉静さんを連行した。

 同年9月末、景さんと劉静さんは錦州市太和区裁判所により、それぞれ懲役5年と懲役3年の実刑判決を言い渡された。同年12月末、2人は遼寧省女子刑務所に拘禁された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/21/412075.html)
 
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