転法輪の言葉を全部覚えれば、眞相を伝えるのは易しい
文/山東省弟子
【明慧ネット3月20日】私は山東省の農村の大法弟子で、63歳です。1999年の旧正月に大法修煉を始めました。それまでは私は殆んど完全に失明しており、多くの病も抱えていました。25歳の時に、病の為に右目を完全失明しました。35歳の時、左目が出血し始めました。それと白内障の為に私はほんのわずかの光りを感じるだけの状態でした。医者は私を二級身体障害者と確定しました。それと同時に私には胃病、リウマチ、そして婦人科の病等がありました。婦人科の筋腫を二つ取除く手術をし、手術後は胃病と便秘が始まりました。1998年には心臓病が突発し、ひどい息切れを起こしました。主人と子供の預金を全て使い果たした後、私はベッドに横たわって痛苦を味わうばかりでした。死を待つ以外私には何もありませんでした。
1999年旧正月の丁度三日前に、私は医者へ行きました。医者は私に入院するよう言いましたが、私にはお金が無く、家へ帰る以外どうしようもありませんでした。全く希望を失っている処へ、村人が法輪大法修煉をして、喘息が治ったと言い、私もやりたいと言いました。私が夫に連れられて、煉功場へ行って師父の講法の記録を聞いた、その日のことは決して忘れることはないでしょう。私は師父が次のように言うのを聞きました:
「わたしはここで病気の話をしませんし、病気治療などもしません。しかし、本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですから私は身体を浄化してあげなければなりません。しかし身体の浄化をしてあげるのは本当に法輪功を学びに来た人、本当に大法を学びに来た人だけに限ります」(転法輪第一講)。
私は心中、法輪大法を修煉することを堅く決心しました。驚いたことには、そのすぐ二日目に、師父は私の身体を浄化し始めました。私の身体の病のある部分が全て反応を起こして痛みました。しかし、二日後には全身が軽く感じられました。師父の慈悲を思い、私は涙がどっと溢れました。何日か講法を聞いた後、私は完全に健康な人になりました。師父が私に新しい生命を賜ったのです! 私は何が起きようと、師父に従って行くでしょう。
その後私は煉功場へ毎日夫と共に行き、同修が本を読むのを聞きました。幾日か経って、私は自分で本が読めないことにとても悲しく思いました。ある晩私は夢を見ました。夢の中で誰かが、目玉の上に一層のなにか白い物があるのを私に見せました。私はきっと自分で本を読むことが出来るに違いないと、思いました。その二日目に同修が転法輪をくれました。私はとても有難く、両手で受取り、それを読む為に急いで家へ帰りました。
始め私は文字がはっきり見えませんでしたが、それでも読む努力をしました。電球に近づこうと背伸びし、一語一語を分かろうとしました。私の思いは、法輪大法修煉をすることから私を止めることが出来るものは無い、というものでした。次第に文字がはっきりしてきました。時にはそこに立って何時間も読み、時間が経つのを忘れるのでした。晴れた日には、外の日向で読みました。読みながら私は涙を押さえることが出来ませんでした。転法輪を初めて読み終えた時、本を抱えて大声で泣きました。私は思ったのです、「どうしてもっと早くこの本を手に入れなかったのだろう!」 二度目に読んだ時には文字がもっとはっきり見えました。三度読んだ後、何と視力が快復しました! 私は自分で煉功場へ行くことが出来ました。もう夫に付き従う必要はありませんでした。
1999年7月、邪悪の迫害が始まりました。激烈な圧力の下に、私の夫は恐れをなして修煉を止めてしまいました。しかし私は一日に少なくとも二講勉強することを堅持しました。派出所の所長や村の治安主任がやって来て、本を没収しようとしました。私は言いました、「私は本を買いませんでした」。二日後に村の治安が又やって来て本を要求しました。私は、「持ってない物をどうして渡すことが出来るでしょうか?」
町の役人がやって来て、師父の写真を破ることを強制しようとしましたが、私は拒否しました。その役人は、上からの命令だと言って、強引にやらせようとしました。私は言いました、「真善忍を行なうことに、何も悪いことはありません。私は殺されても命令に従いません」。役人は非常に怒りました。村人が彼に言いました、「彼女は盲です。無能な人を傷付けてはいけません」。それで役人は去りました。私は思いました、「師父は私の命を救ってくれました。どうして師父を欺くようなことができるでしょうか?」
夫は恐れから修煉を止めて以来、2000年9月に脳出血を起こし、死にかけました。二度病院に入れられて、何とか命を取り留めましたが、後遺症として半身不随となり、話をするのも難しくなり、もう自分の面倒を見ることも出来なくなりました。過去においてはわたしが病気で彼が私の世話をしましたが、今では反対になりました。夫が入院する時には私が付き添いました。病院内の条件は良いものではありませんでしたが、私は夜に五通りの煉功を続けました。ベッドの上で座禅しました。一度私が站椿していると、誰かが聞きました、「何やってるのですか?」私が「法輪大法」と言うと、その人は黙って去りました。
安全を思い私は本を病院へ持って行きませんでした。それで思ったのは、「本を諳記したら、何とすばらしいことか」ということでした。しかし実行することは言う程易しいことではありません。私は夫が退院した後も長い間、諳記することを決心しませんでした。夫の世話をすることに多くの時間をとったので、それがより難しくしたのです。毎日私は転法輪一講を読むことを確実にやり、それから暗唱し始めました。一講を学ぶのに三時間かかりました。眠らないようにする為に、ベッドの上に立って読み、疲れると暫く坐りました。
第一日目は、とても難しいでした。私のやり方は、まず一語一語を思い浮かべ、その言葉を指さすのでした。一語ずつ、一文ずつ、一節ずつ、一つずつ暗唱していきました。一節があまり長いと暗唱出来ず、涙が出ました。それでも私は涙にくれながらも諳記しました。夜寝る時には私は転法輪を頭の上に置き、夜中に目が覚めると、本を暗唱しました。一部忘れると、本を見て又暗唱し続けました。家事をしている時も暗唱し続けました。このようにして、転法輪を全部暗唱出来るようになるまでに、一年程かかりました。私は又法の認識を多く得ました。丁度師父が言ったように:
「法は全ての執着、全ての邪悪、全ての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができます」。("妨害を排除せよ" 精進要旨)
幾十年もの間私は殆んど盲で、様々な病気がありました。外出することをせず、知り合いは多くなく、話をするのは好きではありませんでした。しかし法輪大法の迫害が始まり、中傷的な放送を聞いて、私の全身が叫びました。私は黙っていられませんでした。ペンと紙を買い、"法輪功は良い"、"真善忍は良い"といった標語を書き、村人達に眞相を伝える為に眞相を伝える資料をコピーしました。
過去には私は日中でも一人で外出出来ませんでしたが、今では眞相資料を夜でも恐れることなく配ります。街には私の為にいつも十分な灯りがありました。法輪大法の眞相を、友人に、親戚に、隣人にそして市場で伝えました。病院で夫の世話をしている時には、医者や看護婦や患者達に、私の体験から法輪大法がどんなに良いものであるかを話ました。大法弟子になってからは、私は雄弁になり、誰とでも話すことが出来ます。これは実に大法の威力です。
師父は弟子同志助け合わなければならないと言いました。迫害の圧力の下で、一人の村人が修煉を止めてしまいました。私が彼女と話した結果、彼女は又修煉を始めました。彼女は眞相を伝えに外へ出ることをしようとしないので、私は彼女を一緒に連れて行きました。私の影響で夫も又修煉を始めました。彼は脳疾患の為に、記憶を失い、修煉を再び始めた時は、転法輪の一文を読むことさえ出来ませんでした。私の助けをもって、今では彼は二、三講を一度に読むことが出来ます。煉功をし、彼は今でははっきりと話が出来、自分の面倒は自分で見ることが出来ます。彼は師父が自分を救ったのだと言いました。彼は今では自分の体験を話して、人に法輪大法は良いと言います。私達は互いに助け合って、この法を正す時期の最後において、責任を果たす決心をしています。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/3/20/97698.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/4/59139.html)
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