日本明慧
■印刷版   

環境は衆生を済度するために作られた(一)

(明慧日本)私は今年で37歳になる学校の教師です。1999年5月25日に法輪功の修煉を始めました。夫は警察官です。私は結婚後4回も流産しました。それから、夫の転勤で町に引越しをしたあと、法輪功に出会い、修煉して1年も経たないうち、男児を妊娠しました。師父が子供を授けてくださり、家庭の幸せを持てたことに感謝しきれません。私は師恩の広々とした慈悲の中で、心身ともに大きな変化を感じたときに、更に師父に会いたくなり、さらに法をよりよく勉強することと煉功の大切さが分かり、済度の切迫感も感じました。

 周りに法を実証する

 99年に北京に請願に行ったあと、町長がどこかで私が修煉をやめたという話を聞いたといって、テレビ局の記者を連れて学校に来ました。修煉を放棄した私を称えたいので、ビデオを撮りたいということでしたが、町長たちは自分たちが法輪功を放棄させる仕事がよく出来たことを立証したかったのが本音でした。私は「法を実証する機会が来た」と考えました。校長室に入ったら、町長が「あなたはなぜ法輪功を習ったのか、しかも、ご主人は警察官だし、いまはやめたのだから、現在の心境を話しなさい」と言われました。私は「だれがやめたと言ったのですか? こんないい気功なのに、なぜやめるのですか」と言い返しました。そして、私は現場にいる関係者達に私の修煉後の心身の変化などを一気に話しました。すると、女性記者は「あなたは若い上にきれいだし、ご主人は警察で働いているし、かれの仕事を妨げないほうがいですよ。太極拳を習ったらどうですか」と言いました。私は微笑みを浮かべながら、大法を修煉したら、どういういいことがあるかを紹介して、彼らに大法を保護し、修煉を始めるように勧めました。

 彼らは私の理屈の通った話を聞いて、きわめてばつが悪く、何も言えない状態で、女性記者が「彼女が言ったことはテレビで放映できない」といいました。ちょうど、そのとき、夫がこのことを聞いて、学校まで来て、彼らを罵り、私を連れて帰りました。夫の勤め先の交番に着いたとき、これは警官に真相を伝えるチャンスだと思って、交番にいる警官たちに細かく真相を伝え、1人の警官が北京に請願しに行ったのは誰かが協調したのかと聞かれ(男性同修を逮捕するための裏づけ)、その同修が指示したといってほしかったのですが、私は厳粛に「自分で決めたことです。人々に法輪功がよい、政府が間違っていると伝えたかっただけです」と言いました。

 周りの人々は、真相の説明を聞いているうちに、大法が無実だと分かり、私に家でよく修煉しなさいといってくれました。のちに、上司達は私が心の病だと決めつけ、私をリストラしました。次の就職先は別の町にあるため、引っ越しましたが、資料を貰う所が無くなり、焦りました。すべて師父の按排です。あるとき、家の階段に沢山の真相チラシがあり、うれしくてたまらなくなりました。すぐさま、印刷会社と相談し、真相を説明したうえ、値段を決め、実費で数万元を使って真相チラシを印刷しました。夜になると、姉と配りに行きました。

 あるとき、私は町の各部門の門前に法輪功に濡れ衣をきせたスローガンの横断幕が11枚も掲げているのを見かけました。帰宅後、姉と相談し、私にこれを見せたことは偶然ではなく、私は正法としての大法を修煉しているので、誰一人、大法に濡れ衣を着せてはならず、その屁理屈な邪説で人々を毒害させないように、すべての横断幕を取り下げようと決心しました。夜になると、姉と2人で道具を持っていき、すばやくスローガンを取り下げ、持ち帰って燃やし、何回も繰り返したあと、順調に終わりました。母の家から30キロも離れたある橋の上にも同じスローガンが書かれており、長さは30メートルにもおよび、橋の横の壁にも同じことが書かれていました。字の大きさは壁の高さと同じです。一日も早く消さなければならないと思って、夜になると、私はバイクに姉を乗せ、ペンキとブラシを持ち、丁寧に塗って帰ってきました。師父のご加護に感謝いたします。

 新しい学校に就任後、所々に、法に照らして行い、法を実証するため、他人が完成することができない仕事を私が完成しました。仕事をする動機は人を済度するためで、旧勢力が私を迫害しようとしましたが、私は考え方や行動で迫害を否定します。出発点は人を済度する一念です。ここに引越ししてきたのは、ここの衆生が私に救われるためだと思っていました。昼間の休憩時間帯には、私は付近の村に一軒毎に資料を配りに行きました。土日になると、バイクで大量の資料を載せて配りに行きました。仕事の帰りのバス待ちや同僚などと世間話をしているときは、すべて真相を伝える機会になりました。こうして、そこの住民がすべて救われると、すぐに心の中で、新たな場所で人を救うように転勤させてくださいと師父にお願いしました。当時は、よりいいところに転勤するのは、賄賂を使ってでも、難しいことでしたが、私の場合は、違いました。私は人を救いたい一心で、常人の安逸を求めるわけではなく、この考えがあれば、師父が按排してくださいました。始業式が始まった当日に、教育局に聞いて見たら、転勤がすぐ出来るように、学校長がすでに家の前で待っていました。今考えれば、すべて師父のご加護のおかげで、物事の進行には師父にすべての決定権があります。

  家庭資料点

 それから、マイホームを買い、家で一番価値あるコンピュータの書き込みドライブや、プリンタを買い揃え、家庭の資料点を立ち上げました。私は毎日昼間に教師の仕事をし、帰宅後、子供の勉強を補習したあと、子供と一緒に法を勉強し、子供が横になったら、その夜すぐ資料作りをする生活を今日まで続けています。時間が少ない中、資料を大量に作り、身体が疲れても、心は幸せな気持ちで溢れています。私は大法を伝える時代に生まれることができ、しかも、師父がご健在の世の中で生きており、自分の微力で人を救うことができることに大きな幸福感と充実を感じました。

 私は自分と周辺同修の経文や週刊の大法の資料の出所の問題を解決しただけでなく、祭日などを利用して、バイクに大量の資料を乗せて、村に一軒毎に資料を配りに行きました。師父のご加護のおかげで、いつも順調に行って順調に帰りました。たまに帰る途中に、農民のお爺さんが「まだ、ありますか」と聞かれ、人々が早く救われたい一面が現れてきました。私はとてもうれしく思いました。同時に人を救うことの緊急を感じ、正法の時期の合格した大法弟子としての真意も感じ取りました。すなわち、自分をよく修煉すると同時に、同修とよく協調し合う事です。

 自分の資料点の維持費用を確保する以外に、最大限に努力して、資料の資金には普段の節約と夫がくれたお金を補填しました。夫は私の修煉に干渉しません。99年弾圧が始まったばかりのとき、交番に没収された大法の書籍、師父の写真は警察に持っていかれたとき、夫が見つけたら、電話で私に知らせ、皆の留守のときに、私に持ち帰らせました。そのとき、ほんとに、私は夫が大法を保護し、正念があることを嬉しく思いました。しかし、三退した夫は大法の修煉をしていません。とても遺憾に思っています。

 私の家庭資料点は順調に運行しています。より多くの衆生を救うため、私は1月まえに、新しいキャノン製のプリンタを購入しました。速度が速く、品質もよく(古いプリンタは新しく家庭資料点を作る同修にあげました)。私は、家庭の経済状況や仕事の環境が、すべて人を済度するためにあり、常人の生活を味わうためのものではないことが、はっきりと分かっています。私達はやりたい気持ちさえあれば、師父がすべてを用意してくださいます。

 私は法輪功に出会って、10年間病気のない生活を送ってきました。師父のご恩は返せないほど大きく、言葉で言い尽くせません。師父が衆生のため払われた犠牲の大きさは途轍もない寛容さと、広々とした慈悲心で成り立っています。

 (続く)

  2009年9月5日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/29/207357.html

■関連文章
最大なる慈悲をもって衆生を救い済度する(二)
最大なる慈悲をもって衆生を救い済度する(一)
神韻のDVDを配って実感したこと
同修の病業の関を助けて乗り越えた経験
日々の仕事の中で大法を実証する
「修煉は初心に戻り」より多くの衆生を救い済度する 
人間になって心身ともに苦しく、大法を修煉して師恩の重みを知る(一)
本当の話を言ってこそ、真に人を済度できる
生死の関を乗り越えた経験
洪大な寛容をもってすべてに対処する