■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/26/mh275752.html 



修煉体験を書くことと修煉との関係について

文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)今日私はとても辛く感じました。なぜなら、今回の交流会のためにとても苦労して書いた修煉体験文章を書き終えて読んでみると、自分を実証しようとする人心で満ちていたからです。修煉体験を書いた全過程を振りかえってみると、書いては削除し、削除してからまた書いていました。文章に自己顕示が見えたら削除し、それから書き直し、読んで大体満足できるようになって、もう一回読みなおしてみると、またもや自分を実証していました。

 私は本当にとても困惑を感じました。どうして、自分は大法を実証しようと思っていたのに、やり出したことはすべて自分を実証することなのでしょうか? いったい何ものが私をこうさせているのでしょうか? 私にはそれが見えず、私はいつも自分がこの「私」の制御から飛び出していないと感じました。ずっと修煉していて、またずっと内に向かって探していましたが、ずっと自分を修めるために内に向かって探していました。このやり方は、私がはっきりと自分を修めないといけないと思ってやるのではなく、一種の潜在意識でやっていました。ずっと正念を発し、真相を伝え、三退を勧めていましたが、とても受動的であって、どうしてこのようにやるべきかについては本当に分かっていませんでした。私は自分がいまだに自我の制御を抜け出ていないことに、辛さを覚えました。

 キーボードから離れて、私は師父の写真の前で、足を組んで、結印し、涙を流しながらこの問題について考えました。なぜ文章にはすべて、自分が修煉するために問題を解決し、自分がよく修煉するために正念を発し、自分がよく修煉するために真相を伝え、三退を勧めてきたと書かれているのでしょうか? すべては自分のためでした。私は一種の無形の力が私にそうさせていると感じました。そのものはずっと私を左右していました。このとき頭に、それは旧勢力だ! という言葉が浮かんできました。私は師父に向かって、真の私はこうしたくありません、私にこうさせているのは偽者の私です、私は師父の話だけを聞き、私はただ師父だけについて行き、いかなる生命も私のこの考え方を変えることができませんと、小さい声で泣きながら話しました。

 このとき、私の頭には突然師父の『長春輔導員法会での説法』の一段落が浮かんできました。

 問:「誰のために存在するのか」という経文は、徹底的に人間の一面を取り除き、人間のこの殻から脱皮するようにと私たちに教えているのでしょうか?

 師:そのとおりです。多くの人は最初の頃、法が素晴しいと思っていますが、この法が人類に良いと彼らは思っているからです。修煉の人とし て、常人の社会を妨害することなく、常人社会にもメリットをもたらすことができるので、これを学ぶべきだと思っています。彼の基点は常人のところに置かれ ています。一部の人はその後長きにわたって、常人の基準をもって大法の全てを量っており、少しでも現在の人間の考え、人間社会の方式に合っていなければ、 それを認めず受け入れなくなります。実は彼が守っているのは人間であり、人間から脱皮したくありません。このような道理です。修煉の人の最終的な目的は圓 満成就であり、人間から離れるのであり、人間の観念を抱き放さないようなことを決して許しません。

 この段落の説法に照らし合わせたとき、私は分かりました。偽者の私の出発点は旧宇宙の中の理である「私」にあり、偽者の私が守っているのは師父の大法ではなく、旧宇宙の法の「私」であって、偽者の私はこの「私」を離れようとしませんでした。この私は真の私ではなく、旧宇宙の中の私でした。真の私は佛に成就しようとしていますが、この私は、師父の宇宙大法の指導の下で成就しなければならないのであって、真の私はただこの宇宙大法をしっかり実証してこそ、師父の弟子になる資格があります。また、この宇宙大法を実証するには、必ず師父の要求に従って行わなければなりません。なぜなら、現在は私たち個人が円満成就するために修煉するのではなく、さらにこの宇宙の大法を実証するためであり、ですから私たちは従来の修煉と異なるところがあります。それは自分が成就すると同時に、衆生を救い済度することです。そして、この衆生も普通の衆生ではなく、各世界の王、各世界の主であるので、私たちが彼らを救い済度すれば、救い済度されるのは1人の人間ではなく、彼らの世界中のすべての衆生であるので、私たちの責任は重大です。

 ここまで思いつくと、真の私は、やっと本当にどうして私がいつも受動的に仕事をしてきたかが分かりました。師父がもう一度この愚かな弟子を悟らせてくださったことに感激でいっぱいであり、言葉で現せません。ただ精進するしかありません。

 次元に限りがあり、不適切なところについては、ご叱正を願います。同修たちが私のこの文章を読んでから、みな早くペンを取り、自分の修煉体験を書き出すよう願っています。師父が私たちに要求されているのはすべて最もすばらしいことです!

  2009年9月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/23/208838.html

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