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新しい修煉者の3年間の修煉体験(二)


文/中国山東省の大法弟子・新荷

(明慧日本)

  トラブルに遭い、内に向かって探す

 マイカーの普及につれて、夫も車を欲しがっていました。会社の多くの同僚は車を持っており、自分も買いたいと私に相談してきました。当時家を買ったばかりで、貯金は多くありませんでしたが、夫の要求を満足させるため、私は応じました。そこで私はお金を借り、比較的安い車を買いました。「私は車に興味がなく、運転を習いたくもありません。車の維持費も1年1万元と聞いていますが、これは全部あなたのためです。だから大法のために車がいる時、あなたに助けてほしいのです」と話すと、夫もしぶしぶ応じました。その後、大法の資料を作る材料を買う時など、車を大法のために使うと、時間も節約でき、安全で便利でした。

 ある日、同修が車を運転していた時、衝突事故を起こしました。夫は自分が大切にしていた車が破損して変形したのを見て、非常に悔しがって一晩中眠れませんでした。翌日、私を恨んでこう言いました。「全部あんたのせいだよ。買ったばかりの車を他人に運転させる人がどこにいるのかと同僚が私に言ったよ」 大法弟子が出遭う一切のことは偶然なことはありません。自分の問題に違いないと思い、私は内に向って探し始めました。私は日ごろ夫に対して慈悲がなく、夫のことを気に入りませんでした。時に夫が私にかんしゃくを起こすと、私も怒ってしまいます。その後、私は夫にもっと良く対応し、彼のために考えてあげようと思いました。夫も小さい時から暮らしが貧しく、長年貯めてやっと買った車がつぶれてしまって私を恨むのも当たり前のことです。また一方、私にも利益の心があり、朝同修が車を借りに来ましたが、昼になっても帰って来ないので、不安に思い、夜になっても帰って来ず、常人の心が出てきてしまいました。

 これらの人心を見つけて修めてから、夫も私をもう恨まなくなりました。積極的に私に同修が車を使うかどうかを聞いてくれました。時には夫が直接車を運転して大法の仕事をやってくれました。その後、同修が車で外出する時、私は家で発正念をして同修を加持しました。実は同修も大変なのです。協調のため、材料を買うため常に遠い所まで行くのです。

 この車は三蔵法師が乗った白い馬のように、真相を伝えることに少なくない力を発揮しました。万物にはすべて霊があり、車も大法のためにやってきた生命で、大法の資源です。ある日、夫は車の上に小さな白い花のようなものがあるのを見て、何回も拭いてやっと綺麗になったと話しました。後に、法輪功に関する小冊子で、それは3千年に一度花を開く優曇華だと知りました。残念ながら私は見ておらず、写真も撮れませんでした。

 三つのことを行い、衆生を救う

 学法について、私は時間があれば法を学び、師父の各地の説法を見て、『転法輪』、『洪吟』、『精進要旨』を暗記しています。法を暗記してから受益がとても大きいのです。これからも引き続き法を暗記しようと思っています。

  発正念については、毎日4回の発正念を基本的にすべて堅持しています。時に、夜の発正念の時正念が足りず、寝てしまうこともあります。これは修煉の漏れであり、必ず努力して改めます。

 法輪功が迫害されている実態を伝えることに対しては、初めのころは手紙を書き、紙幣に迫害の実情を書き、資料を配り、面と向ってお守りを渡すなどの方法で伝えていました。最近では直接、相手と面と向かって伝える同修が多くなっています。しかし、私は性格が比較的内向的で、うまく話せず、面子を重んじるなどの問題で、この方面で比較的良くできていませんでした。学法や師父の何回もの啓示を通じて、又何回も縁のある人を見逃してから、私は非常に後悔し、必ずこれを突破しようと決心しました。最近は進歩があり、周りの同僚と法輪功が迫害されている事実を話し、三退を勧めています。脱退した人もいれば、しない人もいます。ある日、師父の『洪吟二』を学んでいた時、「正念は世中の人を救う可し」の「正念」の二文字が目入りました。私は自分が面と向かって迫害の事実を話す時の心理状態が純粋ではなく、怖がる心もあり、師を信じ、法を信じるところまでいっていないことを知っています。私は以後、学法の中でこれらを取り除いていこうと思っています。

  感謝

 私は本当に運が良いと思います。周りの同修はみな非常に精進しており、私に与える影響もとても大きいのです。こんな環境の中で修煉して、自分の向上も速いものでした。私は周りの同修に感謝し、又明慧の同修に感謝しています。長年無私で黙々と、明慧サイトをこんなに素晴らしく運営してこられました。明慧サイトから受ける恩恵も大きいのです。夫と子供からの私や大法への支持もありがたく思い、同時に彼らも自分自身のために美しい未来を選択しました。娘は今年の初めから修煉の道を歩み始めました。また、私は子ども弟子に対し、良く修めるよう責任も持っています。

 私はこれらのすべては師父の慈悲なる按排であることが分かっており、師父に感謝しています。私はこの感謝の心を言葉で表現することができません。師父のおっしゃる通りに行い、精進して真に修め、正法の過程に追いつき、衆生を救い、師父のご恩に報いたいと思います。

 完

 (明慧ネット第6回中国大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/9/212195.html

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