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旧勢力の「病業」の迫害を否定する


文/中国の大法弟子

(明慧日本)同修のAさんが亡くなりました。この情報を聞いて驚くとともに後悔でいっぱいでした。師父に要求された「相手のことは即ちあなたのことであり」(『二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』)のことをしていませんでしたから。

 今年は当市の大法弟子が旧勢力に迫害され、身体への妨害がとりわけ酷かったのです。ここで、親族やほかの同修がAさんに対して如何に行ったかを論じたくないのですが、魔難に陥った同修が如何に旧勢力の按排を否定したかをお話します。

 私は2006年から大法の修煉を始め、2007年に故郷に帰った時、父は倒れて疲れきっていました(食道がんで、食べる度に吐き気がする)。当時私は修煉を始めたばかりでしたが、天目がはっきり見え、毎回発正念の時に多くの邪悪が父を迫害しているのが見えました。

 私は『二〇〇三年旧正月十五日の説法』を同修と一緒に学法しました。

 「私が李洪志の弟子であり、他の按配を要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します。しかも、師父の周りに多くの護法の神がおり、多くの佛、道、神、更に大きな生命があるので、彼らも参与してきます。なぜならば、認められていないが無理やりに加えた迫害は法を犯しているからです。宇宙の旧い理もこれを許しません。理不尽な迫害は絶対だめです。このようにしたら、旧勢力も手を下すことが出来ません。つまり、皆さんはできるだけ正しく歩むということです」

 私は上記の経文を紙に書いて、父が覚えられない時には見るようにと言いました。毎回の発正念時に私と母が立掌して父の為に邪悪を一掃しました。父も師父のこの説法を読み、それはとても印象が強かったのです。人間のこの次元での表れでは父の声は小さいのですが(迫害により力もなくなった)、父が声を出すと三界中に響きわたります。そして各次元に父の身体を迫害する卑しい鬼および直接に迫害せずこれらの鬼を操っている少し高い生命などがすべて立ち止まり、そのまま迫害直前の姿勢を保ちます。そして父の声が天地に響くと同時に、次元の高い旧勢力の顔色が悪くなり、負けた表情をしている光景が見えました。

 当時修煉したばかりで法理をしっかりと理解せず真に法理上で父を助けることができませんでした。さらに父への情の執着もあり、最終的に父は旧勢力に迫害されて亡くなりました。しかしこの事を通して法の威力を体験しましたし、魔難の中でも師と法を信じていれば師が助けてくださる事がよく分かりました。それから私は心の中で、「父は旧勢力に奪われてしまいましたが、同じように旧勢力が他の同修を迫害することを二度と許してならない」と思いました。

 もう一つのことですが、父が亡くなって1カ月後、B同修が「病業」で迫害され、家族に病院へ運ばれ、他の同修は互いに知らせ合って発正念をしました。最初、私はB同修を知らず、病院の場所さえ知りませんでしたが、発正念の時に、天目で次のことを見ました。B同修はベッドに寝ており、上の方に数人の卑しい鬼が矛を持ってB同修の身体を刺していました。私はB同修の身体をカバーで被って保護しました。再度発正念の時にB同修の泥丸宮の中の主元神が大蛇に丸呑みされたのを見て、私は発正念をして大蛇を殺し(次元が限られており、消滅出来なかった)、B同修を大蛇の口から引っ張り出しました。血まみれのB同修を私は功能を使って洗ってあげました。こうしてB同修の主元神は泥丸宮の中に戻りました。

  しかし、こちらでは発正念をしましたが、一方B同修の家族が何をしているかは知りませんでした。2日後にB同修が家族の人に送られて火葬されたことを聞いて、とても驚きました。実は、B同修は病院に運ばれてもう駄目だと医者に言われ、家族に冷凍ケースに入れられました。数日後にB同修の娘さんが夢を見たとき、B同修は、「俺は死んでいないのにお前らに凍えさせられた」と話したというのです。私が見たことを他の同修から伝えられて、B同修の家族はとても後悔しました。この教訓はとても深刻です。同時に、私たちが真に同修の為に発正念し、皆一丸になれば旧勢力の按排を変えることが出来ることを実証しました。

 そして、今度は私自身が迫害されました。一時資料拠点の設立の為に奔走して、学法が少なくなり旧勢力に隙に乗じられました。ある日同修の家から帰り寒気がして、翌日体中が熱くて発熱の症状が現れました。当時私はベッドに寝て、頭痛を感じました。そして数日後には歯ぐきが全て腫れ、口腔、唇、舌に水泡が出来ました。さらに右の歯から耳際まで腫れて、太陽穴も痛くなり、毎日目覚めたとき口の中に膿がいっぱい溜まりました。話せないどころかご飯も食べられず水ばかり飲みましたが、さらに水泡が破れて、水を飲むことさえ痛くなり、数日間何も口に入らず起きあがる力もなくなりました。

 ある日私は突然考えました。私がご飯を食べられないことと、父が食べたら吐くことと何の区別があるでしょうか? 肉体への迫害で最終的に肉体を奪うという旧勢力の按排ではありませんか? そこで、「私は李洪志師父の弟子であり、他の誰の按排も承知せず、師父の按排の道しか歩みません。たとえ歴史において誰かと何かの契約をしたとしても一切認めず、すべて白紙にもどします。修煉の道で師父に按排されたことがすべてで、旧勢力とは関係ありません」という念を発しました。

 この念を発した後にある長い手が現れ、その手は何か書かれている紙を握っていました。あれは旧勢力との契約だろうと意識して、さらに火をつけて燃やしました。その後の発正念で、足を組んだ途端、旧勢力はある紙を私の顔に投げつけて、「以前お前は契約したのに、今破った」と怒っているようでした。

 私はそれに動じず師父の按排でなければ要らない、全部燃やそうと思いました。各次元の紙が全部私の頭に投げつけられて、私はそれらすべてを燃やしました。ある旧勢力が玉のような紙を持ってきましたが、普通の火では燃やせません。私の燃やす行為を見て、旧勢力は手を後ろに回しました。その玉の紙は燃やせませんが、私はその上にある文字を全部とり除きました、白紙だけになり、最終的にやはりそれを燃やしました。

  上記のことを通じて、旧勢力の按排を排除することについて次のように思っています。

  一、まずしっかり学法することです。法はすべての元です(未だに学法グループに入っていない中国本土の同修は早くグループを作りましょう)。多くの同修は身体に迫害の症状が出た時に、師父に按排された難と勘違いする人がいます。師父に按排されたものかどうかは、よく分析すれば分かるはずです。師父は三つのことを要求されており、三つのことを妨害することは決して師父に按排されたものではありません。師父はいま最も大切なことは衆生を救い済度することだと言われました。迫害されてベッドに寝込むようなことを、師父が按排される訳がありません。師父はこのようにして人を救い済度することを按排されません。これは大法弟子が刑務所の中で迫害されたことと、どこが違いますか?

 『二〇〇三年旧正月十五日の説法』の中で師父は次のように説法されました。「新しい学習者以外、師父は99年7月20日以降、いかなる個人修煉の関を皆さんに与えたことがありません。なぜならば、皆さんの個人修煉は全面的に衆生を救い済度し、大法を実証することに切り替えられたからです」

  二、師と法を信じること、信とは命の一つ一つの細胞まで信じて、固く動じないことです。

  三、同修全体が協力し合って、魔難の中に陥った同修の為に発正念をして正すべきです。同修を助ける過程は旧勢力を否定することで、師に従って法を正す過程でもあると思います。旧勢力は師父が法を正すことを妨害しているため師父に認められませんし、如何にしても大法弟子の肉体を迫害して大法弟子に師父との誓約を果たせないようにしたいのです。こうして大法弟子が各自で対応している衆生も完全に救うことができないので、この出発点から発正念をして旧勢力を否定すれば、正しいのです。逆に同修の執着を論じていれば、知らないうちに旧勢力の迫害に拍車をかけてしまうのです。

 真に同修を助けるのは法理に基づくべきで、人心と情はいらないのです。

 中国本土の同修達は、皆当市の同修の教訓を銘記するよう望んでいます。旧勢力の妨害から同修を取り戻して、人を救い済度する二度とない輝かしい時を迎えましょう。

 以上は私の個人的な悟りで、次元に限られるため、間違ったところは皆さんが認識して、法を師にしてください。

  合十

  2010年5月18日 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/12/223427.html

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